ENTREVUE BLOG

「ナギ」ですが時にはあらぶり「エンタメ」「すきなこと」について書く。演劇・宝塚・映画・本、アート・旅行等娯楽、趣味の話とたまにの真面目コラム。

家族という共同体の持つ哀しみ@新国立劇場 蓬莱竜太作 宮田慶子演出『消えてゆくなら朝』

新国立劇場で蓬莱竜太さんの新作舞台を観てきました。芸術監督の宮田慶子さんが今シーズンで退任となりますので、新国立劇場でこの二人の組み合わせもこれからはなかなかないのかな、と思います。

 

キャスト 鈴木浩介 山中崇 高野志穂 吉野実紗 梅沢昌代 高橋長英

家族と疎遠の作家である定男は、五年ぶりに帰省する。作家として成功をおさめている定男であったが、誰もその話に触れようとしない。むしろその話を避けている。家族は定男の仕事に良い印象を持っていないのだ。定男は切り出す。

「……今度の新作は、この家族をありのままに描いてみようと思うんだ」

家族とは、仕事とは、表現とは、人生とは、愛とは、幸福とは、親とは、子とは、様々な議論の火ぶたが切って落とされた。本音をぶつけあった先、その家族に何が起こるのか。何が残るのか。


新国立劇場演劇『消えていくなら朝』稽古場&コメント動画

消えていくなら朝 | 新国立劇場 演劇

 

宮田慶子さんの新国立劇場演劇部門芸術監督在任中、蓬莱竜太さんが関わった作品はいくつか上演されています。自身で作演出を務めたのが『エネミイ』『まほろば』で、わたしは個人的にどちらもとても好きな作品です。前者は今回出演されている梅沢昌代さんと高橋長英さんも出演されており、後者は岸田國士戯曲賞を受賞し、再演もされた作品。他にも…わたしは今の日本の劇作家の中で、蓬莱竜太さんにはかなりポジティブなイメージを持っていて、わたしの人生のベスト観劇体験に入る位、すきな作品もあります。その劇作に現れる「人間に対する目線の優しさ、温かみ」が好きでしたし、もちろん全てが全てそういう作品ばかりではないですけれど、とにかく好意的な印象を持っていたのですよね。

それが。

この作品で、描かれる定男(=作家の分身)を通して観ると…なんとも蓬莱竜太さんにネガティブな印象ばかりになってしまったのでした…

さて、これはどうしてか?

まずは作品の感想に移る前に、事前に参加したマンスリーについて軽く述べておこうと思います。

 

マンスリープロジェクトのトーク

新国立劇場では「マンスリープロジェクト」という、自主で作る作品にはちょっとしたトークイベントや勉強会、みたいな企画が行われるのですが、今回は演劇ジャーナリストの徳永京子さんとの対談企画でした。

徳永京子 (@k_tokunaga) | Twitter

とりあえず印象的だったことを箇条書きに:

・徳永さん曰く蓬莱竜太作品はウェルメイド期、低迷期、 復活期(ここ微妙に曖昧です)に分かれる

・蓬莱さんは初めから「うまかった」、すぐ商業演劇に引く手数多になったのも頷ける

・蓬莱作品は「タイミング」が上手い(徳永)→「観客の先入観」を意識的に利用し、それがひっくり返るのが劇的な瞬間(蓬莱)、エンタメはジェットコースターだけではなく「乗っていた乗り物が違う」もエンタメ、同じものが違う景色になるのもそう

・蓬莱さん曰く劇作には「衝動」が必要で、ストックが切れかかった今、書ける題材は「家族」についてのことだった

・今作は台詞のフィクション度を下げた

・面白いものと人間が作っている「えぐみ」両方ある方が面白い作品になる

・モダンスイマーズである事件があり(ここ一応伏せておきます)改めて自分たちの演劇と向き合い、チケット代や新たな劇団員募集等の試みを始めた

 

ものがたりの始まりと舞台全体について

わたしが演劇を頻繁に見るようになった時期と、蓬莱さんが新国をはじめ商業にも活動の幅を広げて行った時期は大体近く、以来モダンスイマーズも、それ以外も、色々観ましたが、やはり本来芸劇や新国の小劇位までのミニマムなキャパシティで、ある程度少人数の密な人間模様が描くのが合っている方だと思います。ただ、作品は結構見ているのですが、意外と蓬莱さん自身がどういう人間か…?みたいな印象はあまりありませんでした。広島出身で、それは芝居にたまに出てくるな、位。

今回の「消えていくなら朝」は、蓬莱さん自身の家族がテーマで、次男の定男は蓬莱さん自身なのですが…まあ先述の通り、この舞台を観た人間は皆んな定男=蓬莱竜太を嫌いになるのでは、という性格の人間です。

10代で上京、現在作家という特殊な職業で生計を立てている定男は、頭も切れますが、自尊心が強く、家族に対してどこか攻撃的な物言いが目立つ。そんな定男について、家族はあまり快く思っていないし、5年に渡り帰ってこなかったので少し疎遠な印象もある。定男が久しぶりに実家に、彼女を連れて帰ってくるところから物語が始まります。

 舞台は基本的に奥にカウンターがある居間の一室なのですが、下手側に出入口があり、手前の空間は家の外。梁が4本、天井に吊られているのですが、それぞれ斜めに配置され、どこか不安定。背景には映像が映し出されるようになっています。兄弟それぞれのターン(話題)でその名前が背景に浮かび、後半山場では「崩壊」という字が浮かんでポロポロと崩れ落ちていく。家族の会話劇ですが、舞台美術や演出から受ける印象はどこか無機質で危うい感じでした。

 

登場人物の持つ哀しみ

定男の次に話題の中心になるのは会社員の長男、庄司。庄司は昔母親の信仰する宗教活動に熱心で、その縁で結婚もしたのですが、自身の浮気から離婚、破門されてしまいます。長男は頭は切れませんが(定男に馬鹿にされている雰囲気)、「兄弟の中では」「一番普通の人」なんですよね。どこか、ちょっと馬鹿っぽいけど、憎めない感じもある。

三兄弟の末っ子の佳奈は、ボーイッシュな見た目の40代で独身。趣味を楽しみその明るい振舞いから家族のムードメーカー的な印象ですが、彼女にも「ある秘密」があります。

更に、宗教活動に熱心な母親、増築が趣味の父親も、夜が更け話が進むうちにその「秘密」にしていたエピソードの数々が明らかになります…

このように順にそれぞれの「秘密」や「思い」が吐露され、それがまた喧噪や渦を生み…というの流れ。

 

観ていて、物語にしているとはいえ、こんな「ちょっとした」「でもそれぞれ割と強烈な」エピソードを持っている家族がいるのだろうか…?と思う位キャラクターが(一見普通なのに)「強い」。

特に定男は顕著で、これがまた絶妙に「うざい」、「いけ好かない」人間なんですよね。鈴木浩介さんが上手い、というのもありますが、長男を尊敬している、の件等いやいやオマエ絶対長男バカにしてるよね?みたいな。なんとなく落ちついていた(風に見える)家族に定男が帰ってくることで、色んな波風が立ち、感情が生まれていく、その生々しさ。

この物語の唯一の息抜き、良心は定男の彼女・レイ の件ですが(この彼女は創作かな…?)、その彼女にしても、実はクライマックス間際で明かされる秘密がある。(これはこれまでの蓬莱作品っぽい設定)

それぞれが、色んな寂しさ、やるせなさを抱え、相手にわかって欲しい、受け入れて欲しい思いを持っていても、結局は、ぶつかるだけで、うまい解決、対話の落とし所にはなっていかないんですよね。どんなに話たって分かり合えない。なんかぶつかって、お互い摩耗して、次の日がまた来る。

定男の言う「朝が来ると全部(前日までの諍いも)消えるのが気持ち悪い」(意訳)って話の通り、結局何も変わっていない。ラスト、定男にまたすべての問題が再び集まって、定男は「考える…考える…」と呆然と言い、そしてまた次の朝の光が差してくる。結末としては、そうするしかない、希望があるようでないような終わり方ですが、「すべて消えていく朝」がまた来る訳です。

 

個人的には今までの蓬莱作品で一番生々しく、痛い話でした。ご自身も言ってましたけど、よくこんな自傷行為のような話が書けるな、と。宗教や浮気、離婚の話は実話を元にしたのかもしれませんが、それにしても「身体張っている」。フィクション度がかなり低い。次男の定男は終始いけすかない奴でしたけれど、ただ、観ている途中、どこか定男に共感している自分がいました。わたしが性格悪いからかもしれませんが(苦笑)、ああ、自分もこんな風に家族を傷付けたし、家族の何気ない一言に傷付いて、それを何年も何十年も根に持ち生きてきたな、と。

…この芝居、別に誰かに共感性高い作りになっていないと思うのですが、なんだかどこか、共感してしまいました。こうして書いていくと、ひたすら辛く苦しそうな話ですが、会場では結構笑いもあり。わたしは上記から全く笑えませんでしたけど、家族の内輪話、本人が真剣に大切にしてることって、側から見たらどこか滑稽に見えるのかな。その必死さに、可笑しみを感じるのかもしれません。

 

長々と書きましたが、これまではいわゆる「ウェルメイド」路線な作家が出した作としては、かなり自身(と家族)を晒して書いているチャレンジングな一作でした。これからの蓬莱作品を見る目が変わってしまいそうですが、今後の劇作の試金石的な話になるのかも…しれませんね。

では、今回はこのあたりで。ナギナリコがお届けしました。

 

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