ENTREVUE BLOG

「ナギ」ですが時にはあらぶり「エンタメ」「すきなこと」について書く。演劇・宝塚・映画・本、アート・旅行等娯楽、趣味の話とたまにの真面目コラム。

テーマと演出だけではなく「ものがたり」を!@細田守監督『未来のミライ』

今回は映画の話題です。

夏休み映画として注目度の高い細田守監督の未来のミライを観てきました。

以下あらすじです。

 

とある都会の片隅の、小さな庭に小さな木の生えた小さな家。

ある日、甘えん坊の“くんちゃん”に、生まれたばかりの妹がやってきます。
両親の愛情を奪われ、初めての経験の連続に戸惑うばかり。
そんな時、“くんちゃん”はその庭で自分のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ、
不思議な少女“ミライちゃん”と出会います。

“ミライちゃん”に導かれ、時をこえた家族の物語へと旅立つ“くんちゃん”。
それは、小さなお兄ちゃんの大きな冒険の始まりでした。

待ち受ける見たこともない世界。
むかし王子だったと名乗る謎の男。
幼い頃の母との不思議な体験。
父の面影を宿す青年との出会い。

そして、初めて知る「家族の愛」の形。

さまざまな冒険を経て、ささやかな成長を遂げていく“くんちゃん”。
果たして、“くんちゃん”が最後にたどり着いた場所とは? 
“ミライちゃん”がやってきた本当の理由とは―

それは過去から未来へつながる、家族と命の物語。

「未来のミライ」公式サイト


「未来のミライ」予告

未来のミライ (角川文庫)

この作品、鑑賞後、感想に困る一作でした。

何故か、と言うと「ストーリーがない」んですよね…この映画。

こう番宣見ると親子で楽しめそうなアニメっぽいじゃないですか。これまでの細田守作品位には冒険要素がある作品なのかな、と期待するじゃないですか。…うん、それは観ると割と打ち砕かれるんですよね。ということでどこがダメか?ということを中心に今回は語っていきたいと思います。※ネタバレあります

 

未来のミライのみどころ

…と言いつつ、まず、(絞り出した)いいところを!

  1. 演出、アニメ的な表現の素晴らしさ
  2. 映像美
  3. 個性的なキャラクター(もいる)

主人公のくんちゃん(幼児)の元に妹(のちの未来)がやって来ることから物語が始まる今回の作品。例えばくんちゃんが飼い犬ゆっこのしっぽを引っこ抜いて自分に差したら犬になってしまう…ガミガミお母さんが「鬼婆」(イラスト)になってしまう…等、アニメ的な表現は見応えがあったと思います。クライマックス間際の東京駅でのシーンも非常におどろおどろしく、けれど美しくもあって、見応えありますし(スチームパンクっぽい感じ)、この数々表現がこの作品の白眉、と言えるのではないでしょうか。

2.についても言わずもがなで、非常のどのシーンのアニメショーンも「綺麗」なんですよね。

3.キャラクターについても「ある程度」立っている。飼い犬のゆっこ、未来から来た未来ちゃん(はあんまり立っていませんでしたが…)、両親(特に母親の幼少期)、曾祖母、曽祖父(CV福山雅治)のエピソード等、それぞれの歴史、「背負うもの」が描かれているのは、総じて好印象でした。

 

ただし…致命的にスト―リーが…

問題は、これらの面白い表現、演出、キャラクター等、見どころがある中で、どうして、この作品が最終的に面白くない(言ってしまった…)のか?という話で、それはひとえに、「ストーリーがつまらない」「分かりにくい」部分からだと思うのですよね。

というか、ストーリーがあるようで「ない」なんだか「くんちゃんがずっと何かやってる話」というか、単調。何か事、ドラマが起こって、どうなった、ではなく、エピソードの羅列のよう。

乱暴に言ってしまえば、この話は「くんちゃん成長譚」で、幼子が自己と向き合い、社会性を身に付いていく話…とも言えると思います。…ただ、かなり苦しい。

割と最初の方で差し込まれる擬人化した(飼い犬)ゆっこの登場シーン、未来のミライちゃんの登場シーンといい、キャラクターは割と良いのに、それらを魅力的に見せるエピソード、仕掛けが、作品内であまり用意されていないんですよね。ぜんぶ唐突で有機的な繋がりが薄い。でも「ひなまつり」のシークエンスのような面白いのか面白くないのかよくわからないエピソードに割く時間がやたら長い…

クスノキを媒体にした「索引」の話も、スタンスとしては良いと思うのですが(過去作に似てはいますが)、どうも後付説明しましたー!!という印象がぬぐえない。くんちゃんのあれこれ、の印象が強すぎるのです。

この「索引」の話が具体的な構成、ストーリーから浮かび上がるものではなく、ミライちゃんによって「台詞として」差し込まれてしまっているのもよろしくない。

説明させたらあかんやろ!それを作品通じて観客に思い起こさせてこそ、物語やろ!っていう…

「ものがたり」がない、もしくはフォーマットが薄いのが難点だと思います。

 

日常性とファンタジー部分のかい離

階段状の不思議なデザイナーズハウスに中庭のクスノキ。それを「索引」として、色んなファンタジックな出来事が起こる。それが擬人化したゆっこや、未来のミライちゃんであり…なんですが、こう、そのどれも唐突で、どうもクライマックス近くまで「脈略がない」。仕掛けの仕組みがすんなり受け入れられない。

だから、観客はあれ?ゆっこ?イヌなのに?未来のミライちゃん?なんで?のように思いますし、日常性とファンタジックな描写がかい離して見えてしまうのです。

更に「日常」部分の描写に現実味がないのも、非常に気になりました…

そもそもくんちゃん、いくつ?2、3歳?にしてはしゃべりが達者すぎる(声優の声も浮いている)、あれ自転車乗れるの?(実は4歳)というのがあり、更に娘が乳飲み子を抱えて退院したばかりなのに母親がすぐ帰ってしまうのもあれれ?ですし、デザイナーズハウスは幼い子どもにはキケンがいっぱい。食べ物もフォトジェニックなパンケーキ(夜に)やケーキを家で食べていて、(実際作られているものではあるんですが…)

ゼリーのイエ (@gelatinedesign) | Twitter

なんだか「子育て」という超現実的な内容を扱っているのに、この作品には現実感がどこかない。

細田守作品あるあるかもですが、このくんちゃんの両親、一体二人でいくら稼いでいるんだ、みたいなツッコミも。「大きなところで嘘をついて、小さなところでは嘘つかない」のは、割と作品作りには欠かせない部分だと思います。そういうところに割と無頓着なのは、むしろ細田作品ならではの個性、なのでしょうか……過去作もそういう部分ありましたよね…

 

全体としては、このような印象でした。

ただただ出来事を並べられても、「ものがたり」にはならない訳でして。

演出や映像表現に「わーすごい!」と思っても、それだけで観客の満足度は得られない訳でして。

ここを見せたい!ここを描きたい!というような監督の情熱は感じます。

でもそれ「だけ」では2時間近くある作品として、もたない…

この作品、テーマはあると思います。ただ、「くんちゃんシークエンス」やら「ひなまつりシークエンス」やらが長過ぎたね…なんだか巨匠宮崎駿監督が途中でストーリーを放棄して場面作りに寄った作品作りをするようになったのと、似たような印象を受けました。

アニメーションですが、子どもにもあまりオススメは出来ないし、かといって大人もなあ…実際子どもいる人はどう思うのかなあ…という作品なので、細田守ファンとコアなアニメファン、映画ファンには辛うじてすすめられる、という感じでしょうか。

なんともモヤモヤしている感じですが、そんな作品です。

 

…少しすっきりしない内容ですが、今回はこれでおしまい。

以上ナギナリコがお届けしました。 

 

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