ENTREVUE BLOG

「ナギ」ですが時にはあらぶり「エンタメ」「すきなこと」について書く。演劇・宝塚・映画・本、アート・旅行等娯楽、趣味の話とたまにの真面目コラム。

我々は、あの家族に何を思うか@是枝裕和監督『万引き家族』

カンヌ映画祭パルムドール賞を受賞した是枝裕和監督の『万引き家族』を観てきました。今回はこの内容についてレビューしたいと思います。

 


【映画 予告編】 万引き家族(ショート予告)

万引き家族【映画小説化作品】

是枝裕和監督 最新作『万引き家族』公式サイト

 

ストーリーとこの作品のテーマ

始まりは商店街のスーパーでの万引きシーンから。祥太(城桧吏)と父親(?)の治(リーリー・フランキー)が手慣れた様子で万引きをし、家に帰る途中でアパートの戸外にいる女の子を見つけ連れて帰ります。

家に帰ると母親役信代(安藤サクラ)、 亜紀(松岡茉優)、おばあちゃん役初枝(樹木希林)。彼らは都心の住宅街の一角の小さな一軒家で他人同士で暮らしています。

 

2時間程の上映時間中、1時間15分過ぎ位まで、「貧しく万引きをしながら暮らしている擬似家族である」こと「以外」はほぼホームドラマを見ているよう。いわゆる「お育ちが良くなく」、家族の会話も絶妙に下品な部分があるのですが、それもなんだか親しみを持って受け止められる。連れて帰った女の子、ゆり(佐々木みゆ)を「りん」と名付け、「家族」として可愛がる様子がストーリーの中心。髪を切ってやり、歯が抜けたら祥太と屋根上に投げてみたり、「家族」で軒先でスイカを食べ、見えない花火を楽しむ。新しい(盗んだ)水着を着せ、夏は家族で海に行く───ここまでで1時間以上かけて見せます。時折差し込まれるスーパーや駄菓子店等での万引きシーンもそこまで強い違和感なく日常に溶け込んでいる。個人エピソードとしては樹木希林演じる「おばあちゃん」が、亡くなった夫(と浮気から再婚した妻)の家庭(実はアキの実家)にさり気なく金の無心をしたり、アキが勤めている風俗店での話等が入ります。

ここから具体的にストーリーネタバレ。

 

大きく話が動き出すのは、海に行った後樹木希林演じるおばあちゃんが死んでから。

おばあちゃんを家族で掘って埋め、(駄菓子屋の主人が亡くなり)、祥太と(ついて行ったりん)の万引きが失敗する。祥太がりんをかばい、捕まる過程で怪我をする。怪我の治療のための入院手続きから、万引き家族」が綻び始め、一気に崩壊する。

祥太を置いて、夜逃げする家族たちあたりから、明らかにカメラの撮り方が変わります。「警察側の視点」であり「万引き家族への世間のまなざし」とも言える。そこに是枝監督の社会風刺的な主張が入ります、我々は彼らをどう裁くのか、正しさで裁けるのか──と言う。

家族観、家族の絆そのものへの問いは、是枝監督がずっと取り上げてきた内容であると言えます。

 

万引き家族と社会からあぶれた人々

カンヌで話題になった時、ネット上では「万引き」という犯罪を扱ってるだけで拒否感を受ける層がいる、みたいな話題があったとかないとか…。

この作品内で「万引き家族」のしていることは犯罪であり、それは終始変わりません。常習的に万引き(窃盗)をし、詐欺まがいなことも普通にやっている。「子ども」達は学校にも通わせず、親(がわりの二人)も学がなくて下品、パートと日雇いで稼ぎ、初枝さんの家と年金にたかっている、と絵に描いたような、ある意味ステレオタイプな「貧しい」家族なわけです。

しかし、彼らはある意味「愚か」で犯罪者ではあるのだけれど、果たして我々と断絶されるような存在なのだろうか、と思うのです。

「自分の子ども」を愛して、「家族」共同体を愛おしみ大切に思っている。さりげなく差し込まれる亜紀の元の家族たちは、お金に不自由せず、綺麗な一軒家に住み、素敵な家族3人で円満に暮らしている。その「無害な」「理想的家族」の気持ち悪さ、みたいなものも、この映画では描かれている。「理想的化されたもの」の歪み、闇が亜紀であり、おばあちゃんの存在なんですね。また亜紀が親しくなるお客「4番さん」(こういう役でお馴染みの池松壮亮)も、そういった理想化されたもの、社会からはみ出してしまった人、とも言えると思います。

「綺麗なもの」「理想的なもの」以外漂白されなかったことにされる社会は、なんて不自然で不気味な社会なんでしょうか。わたしはそこを描く是枝監督のスタンスは素晴らしいと思うのです。

 

子どもが家族にもたらしたもの

ストーリーの中心は「りん」にまつわるエピソードですが、「祥太」の存在がこの映画は巧みでした。祥太はちょっとした言動に賢さが伺え、顔つきもしっかりした子。「スイミー」はおそらく一年生位の教材ですけれど、翔太自身は本来、五、六年生位。「父親」治との関係は、仲の良さを感じさせ、親しみ湧くものでした。一方で、翔太は「父親(家族)が犯罪を犯し稼いでいる」ことに徐々に懐疑的になっていく。おばあちゃんを埋めるシーン、車上荒らしの場面は父親の「かっこ悪さ」が祥太の目を通して伝わる撮り方になっていました。そして祥太は次の万引きでついに捕まってしまう。祥太の内なる静かな変化が、万引き家族に大きな変化をもたらす。「子どもの成長」が「家族」共同体を様変わりさせる。「りん」の存在は家族に新たな共同体感覚をもたらすものでしたが、「祥太」の存在が家族を内から壊すものだった、というのはやるせないですね…薄氷の上の共同体であった、という。

 

キャストについて

まず、先述の子役、城桧吏くんと佐々木みゆちゃん。自然かつ役柄にもあっていてとても良かった。巧みな子役芝居、というよりはもっとずっとナチュラルで、でもだからこそ心に染みる。リリー・フランキーさんはご本人はいつも飄々としつつもダンディなおじ様感ありますが、まあ今回は役自体下品でしたね~。 でももう「父・治」として祥太に再会することはないのかな…とクライマックスを見るとまたそれは哀しくあるわけです。

そして信代役、安藤サクラさんのお芝居が素晴らしい。自然かつ、子ども達への愛に溢れた女性。折しも出産後、復帰第1作だったそうですが、「血が繋がらない母親」信代のあり方こそ、この作品のテーマと繋がる。警察の尋問シーン、尋問側の視点でずっと彼女をバストアップにしてるんですが、あのシーンの内なる苛烈さは凄まじいですね。池脇千鶴という穏やかな声色を持つ女優さんを使っているのが、また…。警察官の池脇千鶴さんとくん高良健吾君はなかなか贅沢なキャスティング。

樹木希林さんや柄本明さんはさすがの芝居で。

おばあちゃんの大らかで実は傑物、という存在感もこの映画のポイントでした。疑似家族共同体を包み込む存在。

 

終わりに

「彼ら」を「ダメか良い」「正義の尺度」でスパン、と片付けてしまうことが出来ないのが、この作品の奥深さだと思います。

言ってみれば万引きは悪いし、人のうちの子を誘拐して自分の子に、も駄目じゃないですか。性風俗でバイトしてるのも良くはないじゃないですか。お金無心に行くのも。

いくら子どもを可愛がっていても、(親がその意義をわかっていないため)学問の大切さを教えられないし、着るものや食べ物に困らない生活を与えることも出来ない。駄目と言えば駄目で、「子どもが幸せだからいい」「血縁じゃない絆がある」って落ちない作品でめある。

ただ、こういう家庭、それぞれ色んな事情で生きてるひとりひとりを、「これがベスト」「これが幸せ」な杓子定規で測れないですよね。

血のつながった親元に戻せばいいのか?決して良くないよね、という。

そういう意味で非常に重層的で繊細な作品でした。

モヤモヤしつつ、「我々」はその靄を受け止めて生きていかなければならないのかな、と。彼らの共同体とこの社会は確かに繋がっているのですから。「他人事じゃないんだよ」と思うのです…

 

…最後までモヤモヤしてますが今回はこのあたりで。ナギナリコがお届けしました。 

 

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