タカラヅカと「差別」の話。
こんにちは。お盆ですね。暑かったりちょっと過ごしやすかったり、気象に振り回されてる今日この頃です。
さて一昨日、購読しているブロガーさんがこんな記事をアップされていまして。
うう~ん…と、色々考えてしまいました。
タカラヅカが旧態依然とした保守的な組織で、まあ色んな面で他の社会の諸々から浮世離れしたところがある、ってのはファンやっていると結構すぐ気づくわけです。
でもその傍からみると古臭い、時代錯誤的な部分が、宝塚を「タカラヅカ」足らしめている、みたいなところもあるのかな…と。
以下、上記の記事を受けて、この件について個人的に思ったこと色々書きたいと思います。
入団条件
宝塚に入れるのは容姿端麗の未婚の女性。この時点でどうなんだ、男性が入れないのはおかしい、差別、みたいなツッコミも出来ると思いますが…こう伝統芸能の世界(と宝塚も言っていいですか)で、そういう話をするのはなかなか難しい面があります。作られた当時と、今とはどうしても時代が違う。
ではどういう経緯で生まれたか、ってのを少し書いておきたいと思います。
宝塚の成り立ち
そもそも宝塚、阪急電鉄創始者、小林一三が沿線の開発事業の一環として、プールを改造した劇場ではじまりました。その後、宝塚音楽学校が組織され、公演数も増加、大劇場が作られ…と発展していきます。
その過程で小林一三が宝塚の団員は「生徒」であり、教育方針を「上手な女優ではなく、一人前の女性を創る」ことにおき、著書でも、結婚してこそ女性の本当の幸福は得られる、「六百人の女生徒の中幾十人かの芸術家を生み出すより、残りの五百数人が家庭の奥様になるにふさわしい芸術的な教養を受け、“新しい女性”として結婚生活に入り、「朗らかな明るい家」をつくることが大切だという方針である」(小林一三『私の行き方』)
と言ったことが述べられています。
大正時代のモダニズムの流れとは一見ズレてるのかな、とも思うのですが、こう「家庭本位」というスタンスをとることで、「少女歌劇」という先進的な取り組みへの非難を和らげようとしたのでは?という見解もあります。(津金澤聰廣『宝塚戦略』)
まあ、女性、個人の多様な生き方を尊重する現代においては、どちらにしても自体錯誤な考えです。
ただ、「花嫁学校」として「家庭本位」を掲げることが、タカラヅカのブランド力を上げ、「誰もが安心して楽しめる国民劇」ですよ、と発展してきた面もありますよね。娯楽、芸能について風当たりが強かった時代性もあり、そう言わないとやってけなかったのかな、とも。今はどうだかわかりませんが、昔は宝塚出身者は嫁の貰い手に困らなかった、みたいな話も聞きます。
もし男性団員を入れて、未婚の女性の縛りをなくしたら…?
男性の団員を入れようとしたことも昔あったようですね。
ただ、未婚の女性限定の縛りをなくそう、って話は今まで出てきたことあったのかなあ…?たぶん、議題にすら上がらずここまで来ちゃったんじゃないかと…前鳳蘭さんが、「結婚して、子どもを産んでも宝塚にいたい」と劇団に話したけど、一笑に付され、結婚するため辞めた、みたいなこと(ざっくり)を何かの媒体で言っていたのを覚えています。
わたしがこの時、今回も思ったのは、「もし結婚して良かったらみんな卒業しないだろうな」です。もちろん今の生徒さんたちが皆、昔みたいに「結婚するからやめる」方ばかりじゃないと思いますが、「寿退団」が歓迎されている感じ、今でもなんとなくありますよね。もし結婚してもタカラジェンヌでいられるなら、みんな(今ほど)辞めないだろうな…と。それ自体は喜ばしいのかもしれないけれど、入学して(結婚するような年代には)卒業、っていう了解、「限りある期間にしか在籍できない」「いつか卒業する」からこそ、常に全力投球、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれる部分もある気がします。結婚してやめることがいい、悪い、という話ではなく、団員の入れ替わり等、常に留まることなく変化しているからこそ、観客も新鮮な気持ちで何年も何十年も応援出来るのかな、と思う部分もあります。
一ファンの気持ちとして、もし在団中に自分の好きなスターさんが結婚しました!(特に男役)でずっと応援してられるのかしら、となんとなく不安に思ったり…。すみれのベールに包まれているからこそ応援出来る、というか結婚と言う現実的な日常の出来事を受けてもフツーにじぶんはファンでいられるのか?という心配。ワガママなファンですね。
ところで、よく比較される男性しか出られない歌舞伎界で、市川海老蔵が女優寺島しのぶさんと共演されましたね。
これ歌舞伎詳しくないわたしにはどういう位置づけの公演で反応があったかわからないのですが、海老蔵さんのこれまでの言動には旧来の歌舞伎の伝統を見直していこう、みたいな意志を感じる部分がありました。「歌舞伎の家」で生まれた子しか主演を張れない、に関しては故中村勘三郎さんも変えていく、と話していた気が。
ただ、同じく「男だけ」で、多くが「特定の家柄の生まれの人間」でやってきたからこそ、芸能として発展した部分もあるのかな、と。宝塚も色々あっても「(未婚の)女性だけ」でやってきたから、ここまで発展してきたという側面ってどうしてもあると思うのです。
そもそもそんな考え方自体性差別的、って言われたらそれまでなんですけれど。宝塚で今後男性劇団員を入れる、結婚OK、はあまり現実的ではないかな…
で、長々と書いて来ましたが、そういう成り立ち、底に流れる思想そのものが現代の価値観に照らすと明らかに時代錯誤になっている、さてどうしますか?どうですか?って話かと思うのですよ。
時代錯誤なタカラヅカ
わたしが観客として見ていて保守的だな~って思うところは以下のような点です。
1.男女観が古い
2.現代の価値観にそぐわない作品が多い
3.男役至上主義
4.娘役の早すぎる抜擢
男女観が古い
男役は現実の男性より「(理想化された)男らしく」、娘役は現実の女性より「(理想化された)女らしく」というのが宝塚の芸の目指すところです。
過去作を見ていると、どうも「女は三つ指ついて三歩下がって控えめに」みたいな女性像が求められるキャラクターも多く、時代を加味しても「女は何も言わずに男に都合よく華添えとけばそれでいいんかい」みたいな現代に生きている人間からするとモヤモヤする作品、ありますよね。しかも再演される。
そんな作品ばかりではないですけれど、男役がトップスターかつ主演者である以上、娘役には男役を「立てる」ことが求められる。芸として要求されるのはもちろん、普段の立ち居振る舞いも。(余談ですが、娘役さんが男役さんにお菓子やお弁当作ってきた、男役から相手役に指輪をプレゼント、ってプライベートエピソード、ファンとして微笑ましくも、モヤモヤもします…)
わたしはもっと演目の幅は広がっていいと思います。いわゆる今だと「女役」と言われるような「強く」「自立した女性」がヒロインでも宝塚の芸は成立すると思いますし、男女関係が必ずしも恋愛でなくてもいい。密な人間関係を描いた芝居が見たい。例えば男女のバディもの、だって見てみたい気がします。観客は確かに女性ばかりだし、「美しい男女のロマンス」を期待している部分も大いにありますけれど、必ずしもそれだけに拘らなくてもいいな…と。
現代の価値観にそぐわない作品作り
男女観が古い、と重なるのですが、とにかく「作品の根底に流れる思想が古い」ですよね。ヒーローやヒロイン、ひいては男はこうあるべき!女はこうあるべき!みたいなのは、根底は「清く正しく美しく、そして朗らかに」、「人として良く生きる」みたいなところだと思うんですよ。それなのに、現代の人間からすると「はい?」って言うような女性差別的な台詞や扱いがあったり。
また、人種やマイノリティに対して誇張された表現や揶揄するような表現が多いのも気になります。
ブラックフェイスの問題については以前少し書きましたが、
演劇におけるブラックフェイス問題と「Cultural appropriation」について。 - ナギ ナリコのENTREVUE BLOG
例えば中国人は「〜アルよ」みたいな喋り方をしたり、同性愛者を「おかま」と言ったり。「風と共に去りぬ」は名作ですが、いわゆる黒人の扱いが酷い作品ですし。
演出家自身が宝塚「以外」の外部の演劇の時勢に疎いから、こんな時代に遅れをとった発想、作品が多いのかな、と。もしくは「宝塚らしさ」に拘りすぎ。もちろん制作側の人間が専門性を用さず、脚本チェックもままならないから、こんなことになっているのでは?と推測します。女性は特に目が厳しいのだし、そういうことはきちんとして欲しい。
男役至上主義
トップスターは男役だけ。トップ娘役はヒロインではあるけれど、主役とは一線を画す、というのが今の宝塚です。「娘役トップスター」という言い方はあまりせず、あくまで「トップ娘役」。古くは娘役の方が人気があった、みたいな話も聞きますが、今は明らかに男役の方が人気があります。舞台上、物販その他色々な扱いで男役>娘役なんですよね。あんまり声を大にしてに言えないですけれど、宝塚は年功序列で、娘役の方が下級生で抜擢されることを差し置いても、娘役の方が男役より人気出ることはないようなシステムに表でも裏でもなっている。
おんなじ試験を受けて入っているのに、娘役の方が色々な面で待遇が悪い、というのはどうなんだ、と思うんですよ。
そもそも身長の高い女性は割合的に少ないのだから必然的に娘役の方が競争が激しいですよね…娘役の方が実力が…ごにょごにょ。
役柄の面で、男役程大きな役を娘役には任せない、のも気になる。
作品の中で女性キャラクターの役が大きい演目は、結構な割合で「男勝り」で「自我をしっかり持っている」女性キャラが出てきます。「女役」と言ったりする。それらは娘役が演じるにはチャレンジングで、時に押し出しや味を期待して男役に任せられることも多い。「風と共に去りぬ」等。
「男役より前に出ない」というのを徹底されている娘役には難しいキャラクターなのはわかりますが、にしたって娘役の扱い、役をもっと大きくしていいじゃない、というのは見ていて常に思います。芝居だけでなくショーでも。
月組のトップ娘役愛希れいかさんが単独で小公演の主演をし、次の『エリザベート』で花道を飾る、それ自体は素晴らしい。「トップスターの相手役」としてではなく、トップ娘役自身の花道を作る機会、役柄を増やして欲しいと思います。確かに娘役に男役程の集客力は期待出来ないかもしれない。でも昨今は宝塚自体の人気が上がっていて集客力の懸念は以前よりなくなっている。右も左も分からない下級生から実力や素養で抜擢して、厳しい環境に晒しているのだから、もっと大事にして欲しい。
娘役の早期抜擢
これも前ツイで書きましたが、トップ娘役の就任はもっと遅らせるべきだと思いますね。研7過ぎたら機を逃した、みたいな今の風潮なんなんですかね。研4、5あたりでは早すぎで、せめて新人公演卒業間近位から、研10になっても良いと思います。男役は十年で一人前、では娘役は?って言う。男役に比べ娘役の方が芸の成長が早い面はあり、若いからこその「初々しさ」が求められる部分もある。それにしたってまだまだ下級生で就任、となると娘役の芸の質はどうなるの?組子の士気はどうなるの?ですし。若ければいいんかい、みたいな女性観が働いている気がして気になります。トップスターと同じくトップ娘役も組の憧れ、お手本になる位の学年で就任して欲しいです。
宝塚各組トップ娘役は娘役みんなのお手本に!トップ娘役就任時期について考える。 - ナギ ナリコのENTREVUE BLOG
おわりに
…だんだん長くなってきたので締めたいと思います。
他にも例えばファンがほとんど女性なのに演出家陣に女性が少なすぎるだろう、とか、そもそも宝塚歌劇団は女性が働きやすい環境なのか?っていう疑問も湧きますよね…
まあ、色々あっても見続ける、(チョロイ)ファンなじぶんなのですが、宝塚は演目の企画段階でもっと色々改良の余地があるでしょう。
最近は新進の上田久美子先生が初の女性演出家のショー作家として、「BADDY」のような社会風刺的な要素が入った作品を送り出しましたし わたしが常日頃色々言っている(苦笑)原田諒先生は宝塚の作品作りの可能性を広げようとしています。
そういう意味では色々希望がありますね。
劇団側には観客の反応にもっと真摯でいて欲しいな、と一観客として願っております。
…ということで長過ぎる内容でしたがここまで。
またこのあたりの話については継続的に考えていきたいと思います。
ナギナリコがお届けしました。