気鋭の座付き演出家上田久美子のまなざし@宝塚月組『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る-』
さて、本日は先日の『カンパニー』のレビューに続きまして、
併演のショー『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る-』のレビューを試みたいと思います…!!
ショー・テント・タカラヅカ
『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る-』
作・演出/上田 久美子
舞台は地球首都・TAKARAZUKA-CITY。世界統一され、戦争も犯罪も全ての悪が鎮圧されたピースフルプラネット“地球”に、月から放浪の大悪党バッディが乗り込んでくる。バッディは超クールでエレガントなヘビースモーカー。しかし地球は全大陸禁煙。束縛を嫌うバッディは手下たちを率い、つまらない世の中を面白くするためにあらゆる悪事を働くことにする。彼の最終目標はタカラヅカ・ビッグシアターバンクに眠る惑星予算を盗み出すこと。しかし、万能の女捜査官グッディの追撃が、ついに彼を追いつめる!
月組公演 『カンパニー -努力(レッスン)、情熱(パッション)、そして仲間たち(カンパニー)-』『BADDY(バッディ)-悪党(ヤツ)は月からやって来る-』 | 宝塚歌劇公式ホームページ
月組『カンパニー/BADDY』については初日から観劇しておりまして、
先日の千穐楽のライヴビューイングも鑑賞しました!!
カンパニーが思いのほか長い記事になってしまい…併演のショ―『BADDY』についてはまあ、色々語りたいよな、もっと語りたいな、語り倒したいよな…!!ということで別記事に。
まず、この『BADDY』というショーが如何に突き抜けたショーであったのか、みたいな内容は下記に書いております。
加えてもう少し突っ込んで書きたいので…上記の記事で書いた「社会批評」スタンスについてから、もう少し書いていきます。
上田久美子の社会への眼差し
このショーの作・演出、上田久美子先生は賢い。というか、どこに関しても視線が厳しく鋭いですね。タカラジェンヌに対してもですし(愛ある厳しさだと思いますが)、舞台づくりに対するスタンスが厳しい。割と観客の反応を見て、演出に細かい調整、ジェンヌに対しての演技プランの変更なんかもしてきます。タカラヅカファンはハードリピーターも多く、皆さん目が肥えていますので、そこに気づく気づく…!
本公演『星逢一夜』→中日劇場公演『星逢一夜』の演出変更、演技プラン変更は記憶に新しいですね…
そして、今回の「大熱狂、大興奮、今まで見たことないショー」である『BADDY』にも、そのウエクミせんせいならではの、社会や「宝塚(タカラヅカ)」そのものについての「シニカル」な、厳しく鋭い目線を感じる感じる…!
月組カンパニーとBADDYはどちらも、「シニカル」な作品と言えると思う。カンパニーはたぶん、石田昌也先生の阪急のお偉方へのゴニョゴニョ…だし、上田久美子先生のBADDYは現代日本社会への痛烈でシニカルな視線を感じる。どっちもエンタメしてて、初見の人にも楽しい宝塚歌劇だけど、実は…っていう
— ナギ ナリコ@やるしかない7月。 (@nagi_narico) 2018年4月7日
『カンパニー』も実は、先のレビューで書かなかったのですが、ベテラン石田昌也先生の「阪急」に対する「シニカルな視線」感じる、とつぶやきました。
BADDYは既存のショーに価値の転換をもたらした
このショー、『BADDY』も「タカラヅカ」「タカラヅカ的な様式美」に対しての「パロディ」「風刺」であり、現在の日本社会=嫌煙、全面禁煙になるだろう社会を皮肉ったショーです。
例えば「ラテン」「ジゴロ」「中詰めスターの銀橋渡り」「男役の女装」「ラインダンス」「デュエットダンス」「退団者への餞別場面」というのは、これまでの既存のショーにもあったやり方、シーンです。
しかし、『BADDY』が極めて新しいのは、それら「タカラヅカ」の「お約束」を踏襲しながら、「意義、価値を変えた」こと。
「ラテン」的な場面、『レストラン“ブルーラグーン”』ではおかしなコスプレのロブスター、オマール、オイスター達を登場させ、
ジゴロは宝塚のショーではよくある場面ですけれど、『悪のレッスン~デンジャラスな男になるために~』で「数々のワルイコト」をする一環として見せる。
『カオス・パラダイス』、「中詰めスターの銀橋渡り」はどのショーでも中盤に向けて盛り上がる場面ですが、その勢いに乗じこの世は「ぐるぐるぐちゃぐちゃ」となる。観客の感情の盛り上がりまで計算しているようで、とても爽快で、熱い場面です。
『ビックシアターバンク式典舞踏会』での美弥るりかさんの中世的でファムファタル的な魅力を生かした「女装」もキャッチーで良いと思いますし、宇月颯さん、早乙女わかばさんというスター退団者への餞別も、さり気なくロマンチックな恋物語として入っていて素敵。
怒りのロケットと闘いのデュエットダンスの意義
特筆すべきは『グッティの怒り』ファン通称「怒りのロケット」と『罪』での「闘いのデュエットダンス」、『悪の華』。
女性として生まれると、「怒りをあらわにしてはいけない」「男性に反発しないで機嫌とってやり過ごすのが賢い女」「(怒りをあらわにすると)これだから女は感情的だ」みたいな圧力があるのが、残念ながら今、この日本という国です。
そのストレスが、このショーは「ない」。
タカラヅカの、ともすれば古典的な、旧態依然的な、時代錯誤な「娘役らしさ」(女らしさ)、男女観を求める部分が、このショーには「ない」。
「許せないの許せないの」「怒っている怒っている生きているわたし」
(微妙に違ったらすみません)というグッディの歌、ダンスの持つ力強さと生命力。怒りという感情が持つパワーそのもの、のようなグッディーズのラインダンス。
#metoo 運動が記憶に新しい今、この瞬間に、「宝塚歌劇団」という保守的な組織が、未婚の女性だけが劇団員のタカラジェンヌたちによって、このショーを上演したのは、とても意義深いことだと思います。
そして“闘いのデュエットダンス”
最近の宝塚のデュエットダンスは、「娘役(トップ娘役)」が「うっとり」と見つめ、「男役(トップスター)」は紳士的にエスコート、包容力を発揮する。リフトが入り、観客に挨拶して引っ込む、が割とスタンダードでした。
しかし、今回のデュエダンはベテラントップ娘役・愛希れいかと、若きトップスター・珠城りょう、一期違いの、月組のトップコンビだからこその、闘い(バトル)だった。
「善と悪よ 抱き合え 地獄に落ちても共にゆけ 罪人 ふたり」
あのバチバチと火花が散るような熱さ、バッディがグッディの心を手に入れ、最後ふたり燃え尽きセリ下がる、という至高のデュエットダンスが出来上がったのだと思います。
特筆すべき内容、出来だと思います。
月組メンバーそれぞれの個性に合わせてアテガキされたショーとなっており、今の時代(禁煙社会、コンサバティブな日本社会、女性観)へのアンチテーゼ、演出家の社会批評的な目線(己が主張)も入れている。
現実世界は「ぐるぐるぐちゃぐちゃ」
タバコのもたらす害は図りし得ません。
受動喫煙問題等もありますし、わたし大嫌いです、たばこ。
でも、ウエクミ先生がパンフレットで書いていたような、嗜好品である煙草が、「小道具」として趣深いエッセンスを創作に与えて来た歴史があります。
宝塚の男役も元々、昔の洋画の男優のマネから入った、というエピソードを聞いています。
女性のエスコートの仕方、スーツの着こなし、脚の組み方、ハットの被り方、そして煙草の扱い方。
いわゆる「男役芸」に欠かせない所作の数々。
煙草が文化に与えた影響は大きい。
「紫煙をくゆらす」「燻る」もこれからは文学作品で使われなくなっていく表現なのでしょうか。
更に、今ネットでも現実、日常でも、「善悪」「二元論的な思考」というのはもう、至る所にはびこっています。SNSの「炎上」についても似たようなところがあって、「こいつは叩いていい」と認定されると一気に燃え上がる。確かに、非常に反社会的な表現、差別的な表現、うかつな発言、色々あると思いますが、「悪」だから「殺していい」「暴力の対象になっていい」みたいな姿勢はキケンだと思います。
同様に「正義」を錦の御旗にするのも、キケンだと思います。宗教戦争なんて、まさにそれですよね。行き過ぎた「正義」は暴力さえも肯定します。
賢明な皆さんなら、お分かりかと思いますが、この世の中「善悪」二元論では片づけられないことばかりですよね。ある場面では「悪人」であっても、ある場面では「善良な人」である。ある視点から見ても悪辣な行為でも、ある視点から見ると正義感に溢れた行為であることが、ままあります。
物事は、世界は、もっと局地的グラデーションなもの。本来この世は「ぐるぐるぐちゃぐちゃ」で、黒と白、グレーもまだら。善と悪も色んな場面で色んな濃淡が出てくる。
『BADDY』はそんな世の中自体を描いているショーだと思います。
だから、素晴らしい。
これまで何度も再演された舞台の名作は皆、作られた時代の世相を反映しています。
『ANNIE』『WEST SIDE STORY』『ミス・サイゴン』『レ・ミゼラブル』、日本の演劇史でも蜷川幸雄がどういう作品を亡くなるその時まで演出して来たか?小劇場界ではどんな作品が人気を博したか?何百年前の英国の劇作家シェイクスピアの作品が未だに世界中で上演され続けるのは何故か?
鋭い社会批評的な視点があってこそ。
別記事の繰り返しですが、「タカラヅカ」という夢夢しい華やかな世界でこの作品が上演されたことが非常に意義深い。
『BADDY』は凄い。
素晴らしい見世物小屋「ショー・テント・タカラヅカ」だと思います。
……まあ色々書きましたが、スタンスとしては、ウエクミせんせい色々スゲエ、に尽きます。本当「気鋭」の演出家。
ウエクミ先生の「生徒を立て」つつ、「自分のやりたいことを入れて」「これまでの演出家陣ができなかった作品を作り」「観客の評価を得る」ところ、毎回凄いと思う…ぐうの音も出ません、みたいな。
— ナギ ナリコ@やるしかない7月。 (@nagi_narico) 2018年4月26日
願わくば宝塚に今しばらくはいてね…そのうち外部の舞台やってもいいと思うけど、宝塚にまだいて……
わたしがもし、タカラジェンヌだったら、どんな厳しかろうが、ウエクミせんせいの芝居に出たいし、スター格だったら自ら公演の作・演出直談判したいくらいですね…!絶対話題作になり、個人人気もでますから。やりがいしかないでしょう。まあ、そんな権利はあんまりないでしょうが(ひっぱりだこだし)、これだけ色んなことを実現して尚挑戦的で評価されている演出家が今現在他に誰がいますか、ということですよ。宝塚座付演出家としてはまだ若手ですよ?ウエクミせんせい…恐ろしい子…わたしが座付きだったら亡霊に取りつかれそうですね、「ウエクミせんせいみたいに作品作れない」とか思っちゃいそう。
あ、でもこれはツイでもつぶやきましたが、わたしは以上のようにBADDYだいすき人間ですけど、別にこのショー「大嫌い」「上田先生の作品やっぱ合わないわ~」という人がいても全然いいんです。確かに、このショーはほぼほぼ芝居っぽくて、ノバ・ボサ・ノバみたいに台詞ほぼなく、歌、ダンスや身体表現で極限まで持たせるショーではない。説明過多、と言われれば確かにそうだと思いますし。
また、多くの人に話題になる作品は、賛否両方の声が聞こえてくるものです。それだけ人の心を動かした、ということなのでしょう。
さてさて、タカラヅカの上層部の皆さんは…なんていうか…懐が大きいですね…
…というか、天然なのかな?
わたしがもし阪急、劇団のエライ人だったら、この『カンパニー/BADDY』の組み合わせ、企画段階でならともかく、出来たものを見せられたら、ちょっと色々落ち着かなくなると思いますよ。なんならちょっとプンスカしちゃうかも。
だって…ねえ?そうですよね?
ベテラン石田昌也×気鋭の上田久美子だからできた演目でしょう。
すでにかなり長いので……なんだかこのショーめっちゃすごい!で、ひたすら書いた気がしますが…(なんかすみません)
出演者への「萌えがたり」はまた別記事でアップしたいと思います~!こちらもたぶん長く書いちゃう!だって書きたい!←
次回に(きっと)続く!ナギナリコでした!
「月が綺麗ですね」byカンパニー それとも 「月が綺麗なんてとんでもない!」by BADDY?