ENTREVUE BLOG

「ナギ」ですが時にはあらぶり「エンタメ」「すきなこと」について書く。演劇・宝塚・映画・本、アート・旅行等娯楽、趣味の話とたまにの真面目コラム。

小粋な通俗喜劇、でもタイトルは…?@博品館劇場 鵜山仁演出 賀来千香子主演『しあわせの雨傘』

博品館劇場で賀来千香子さん主演しあわせの雨傘を初日に観てきました!

原作はフランスのブールヴァール劇(théâtre du boulevard)というフランスの通俗喜劇です。少し前にカトリーヌ・ドヌーブ主演で映画化されましたのでご存知の方もいるのでは。ツイでお先に呟いてこきましたが、軽快で軽妙で台詞もおしゃれで…と素敵な舞台でした。演出は文学座の鵜山仁さん。

 

 

公式あらすじ

とある町の、大きな傘工場の経営者夫人シュザンヌは、メイドもいる専業主婦。子育ても終わり、ポエムづくりとジョギングが日課。家事も仕事もしなくて良い、と夫に言われる“お飾りの妻”となっていました。しかし彼女は“お飾り”ではなく、素晴らしい実力を持った女性だったのです。
 シュザンヌは子育ても終わり、優雅な日々を送るが、退屈な日々を送っている社長夫人である。社会の中に自分の居場所はなく、家庭でも母としての位置は、愛されるママでしかない。
 夫のロベールは仕事最優先、シュザンヌの事など見向きもしない。彼は、秘書のナデージュを愛人にしていた。娘のジョエルは結婚し、夫を父の傘工場に勤めさせている。息子のローランは、会社の後継者になるつもりは全くなくパリ暮らし。しかし、びっくりするニュースを持って実家に帰ってきた。
 そんな時、独善的で典型的なブルジョア社長ロベールに反発する労働者が、横暴な経営を改善しろ、とストライキに入ってしまう。ロベールは、事態を収拾するどころか、悪化させ工場に軟禁状態になってしまう。
 この窮地をシュザンヌは、若い頃には交流のあった、今は共産党員の市長であるババンに、助けて貰おうと相談する。ババンの協力もあり、創業者の娘としてシュザンヌは組合との交渉に成功する。そして夫は軟禁から解放されるが心臓発作を起こしてしまう。夫のロベールに代わり、彼女シュザンヌが社長に就任するが・・・。

しあわせの雨傘 (字幕版)

※画像は映画版です

舞台『しあわせの雨傘』公式サイト | 主演 賀来千香子

 

舞台全体について

ピジョル一家のセットが組まれています。左手奥に階段、と右手奥に大きな窓があり、これらが左右対称のアーチで囲われています。右手の大きなガラス窓は「雨傘」の形。左手に暖炉があり、先代社長の胸像が置いてあり、その横にソファセット、右側にダイニングセット。「雨傘」「傘の柄」「小さな飾り傘」が部屋のあちこちにちりばめられています。このようにセットのあちこちに「傘のモチーフ」がちりばめられ、非常におしゃれで可愛らしい舞台美術。ストーリーは一介の主婦だったシェザンヌが、ストライキをキッカケに夫が経営する雨傘工場の社長に就任…!という女性のサクセスストーリー。そこにシェザンヌの過去のロマンス、家族に隠していた秘密…とエピソードが差し込まれます。

キャストについて

主役のシェザンヌ役、賀来千香子さん。もちろん以前から存じてました、素敵な女優さんですよね。まず、パッと登場した時の華がある。線はかなり細くて、舞台をやっていくならもう少しふっくらされた方がより素敵かな、と思いましたけれど、素のキャラクターの朗らかさ、明るさがそのままキャラクターの魅力に繋がっているようでした。映画のドヌーブはもっとグラマラスな女優さんだと思いますので、また印象が違ったシェザンヌだったのでは。初日だからか、少し緊張されていたのか、登場人物との気の置けない会話がこなれていなかったのと、意外と快活な女優さんなのでコケティッシュさが欲しいところ。一幕ラスト、そして二幕も、客席に向かって見栄を張る場面がありますが、体当たりで演じられていました。特に二幕は振り切った演じぶりで、頼もしい女社長ぶり。夫ロベール役の井上純一さんのコミカルな受け芝居は客席を爆笑の渦に誘いましたし、左翼政治家ババン役永島敏行さんの骨太で朴訥な存在感と好対照でした。あと、遠野なぎこさんが上手かったですね〜… !秘書ナデージュ役は意外と出番が少ないのですが、芝居声も明晰、ご自身の役回りをしっかり理解された演技で「ちゃっかりしたたかな秘書役」を好演。年齢やキャラを考えたら娘役でもいい位ですけれど、ハマっていました。娘ジョエル役広田礼美さん、息子ローラン役後田真欧さんは手堅い印象。ただ、娘は本来もう少し声も存在も押出のある女優さんの役かな、というのと、見た目はもっと綺麗に整えて欲しかったかな〜。髪色が初日なのに美しくなかったのが少し残念。(普段宝塚見慣れてる身としては、ね)

 

日本語版タイトル『しあわせの雨傘』への違和感

少し前にTwitterで#女性映画が日本に来るとこうなる、ってまとめが流行ったの、ご存知ですか?

togetter.com

観終わって気になったのは、「実は」この舞台、『しあわせの雨傘』ではないよね…いわゆるダサタイトルでは?ということ。原題は『Potiche』、華美な陶磁器の「飾り壺」のこと。台詞にもあるよう家庭の「飾り壺」、とされていた主婦が、雨傘工場の経営者となり、自分の居場所を見つけていく話なんですよ。演出(主に舞台美術)で「雨傘」を強調していますけれど、しあわせと雨傘はこの芝居では実はあんまり関係なくて、シェザンヌ自身が掴んだ結果に過ぎない。演出の鵜山さんもそのあたりの食い違いをわかっていたからこそ、今回のような舞台プランになったのだと思います。


しあわせの雨傘 <予告編>  2011/1/8公開!

映画版は未見ですが、こちらも確かに美術がおしゃれ、全体的な画面から受ける印象も可愛いです。ただ、映画になんでも「しあわせうんちゃら」ってタイトルをつけるのセンスない…って常々思っている人間なので、そこはモヤモヤ。もっと通俗的でシニカルな面もあるのかな、と。あ、これは完全余談ですが、劇中シュザンヌが詩作を趣味としている、という場面で何故か「俳句」という翻訳…そこはあらすじ紹介にもある「ポエム」でいいじゃん!と思いました。

以上のように翻訳タイトルの「食い違い」が舞台に微妙な「ズレ」を生んでいた印象。映画版が先である以上、タイトルを変える訳にはいかないのでしょうが、うーん難しいところですね…

 

全体的には気楽に気軽に観れた楽しい作品でした。でも翻訳もの、って色々難しいですね。映画版も近々見てみたいと思います!

以上、ナギナリコがお届けしました!(8月末の公演中にアップしたかったのに遅れてしまい反省です…)

 

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名作芝居待望?の再演の出来は…@宝塚雪組『凱旋門-エリッヒ・マリア・レマルクの小説による-』

ご無沙汰しております、ナギです。先日閉幕しました『凱旋門/ガートボニート』、今回は芝居凱旋門のレビューをお届けしたいと思います。

 

公式情報

かんぽ生命 ドリームシアター
ミュージカル・プレイ
凱旋門
エリッヒ・マリア・レマルクの小説による-
Based on
ARC DE TRIOMPHE by Erich Maria Remarque
Copyright (c) 1945 by New York University, successor-in-interest to the literary rights of
The Estate of Paulette Goddard Remarque
Performed by permission of New York University, successor-in-interest
to the literary rights of The Estate of Paulette Goddard Remarque
c/o Mohrbooks AG Literary Agency, Zürich, Switzerland
through Tuttle-Mori Agency, Inc., Tokyo
脚本/柴田 侑宏 演出・振付/謝 珠栄
祖国を追われた亡命者たちが集う、第二次世界大戦前夜のパリ。ドイツから亡命してきた外科医ラヴィックは、友人ボリスに助けられながら、あてどなく仇敵を捜すだけの失意の日々の中で鮮烈な恋を見出す……。ラヴィックにとって生きる希望となるジョアンとの恋を軸に、過酷な運命に翻弄されながらも懸命に生きる人々の姿を、シャンソンをモチーフにした音楽を絡めて描き上げた作品。2000年に雪組で初演、主演を務めた轟悠文化庁芸術祭賞演劇部門優秀賞を受賞するなど、絶賛を博した傑作ミュージカルの待望の再演となる。

雪組宝塚大劇場公演 ミュージカル・プレイ『凱旋門』 ショー・パッショナブル『Gato Bonito?』 [Blu-ray]

雪組公演 『凱旋門』『Gato Bonito!!』 | 宝塚歌劇公式ホームページ 

一ファンの戯言

感想前にちょっと自分がたりを。

宝塚ファン歴二年(まだ二年!)程度で、でも今まで、自分が宝塚に捧げてきた時間と思い(とお金)は非常に濃いものでした。文字通り「毎日宝塚漬け」の日々でしたし、ファン歴の浅い私でも、宝塚の作品、上演歴に大分詳しくなれました。けれど、過去の有名作はかなり見尽たな、という今でも見ていなかったのが、『凱旋門』です。私の記憶違いでなければ、ここ最近はスカイステージでも放送されていないと思います。

ということで、この作品を私はずっと観たかった。タカスペで歌われる「パララパララ…」の歌が素敵で、「名作」との呼び声も高い。どんな作品なのかな、と期待を募らせていました。だからこその、の以下の感想です。

 

「かの名作」凱旋門

待望の再演発表には非常にワクワクしましたし、元々遠征も決めていました。ただ諸事情により今回は東宝二階末席で一度のみの観劇に。そんな人間の感想ですが、少なくともこの作品、再演に値する「傑作」との評価できないと思います。

理由は端的に言えば再演する意義が感じられない舞台だったから。脚本が凡庸で、今の雪組に似合いの演目とも思えず、舞台美術をはじめ演出も冴えず。名曲と呼び声高い『雨の凱旋門』や『いのち』も素敵でしたが、特に後者はやや早急な使われ方に思えました。そもそもこの芝居、ドラマティックなのは舞台と登場人物の設定で、物語の主軸はよくある男女の恋物語ですよね。言って見れば地味でもある。難しいのは、その「よくある男女の話」の「背景にあるもの」で。レマルクの原作は━、想像でしかないですが、日常と登場人物の背負う哀しみがもっと鮮やかに描かれていたのでは?と思うのです。本来はキャラクターを通し、切実な時代背景と日常の濃淡が色濃く浮かび上がる、味わい深い作品だったのではないでしょうか。

しかし、舞台の色彩があまり変わらず、転換も盆回しが中心。派手な演目に慣れている今、この演出で大劇場の空間が埋まっているように思えなかった。二階後方だとかなり舞台全体が散漫な印象を受けました。

 

キャストについて

轟悠さん、前作ジバゴでも声が少し辛い印象でしたが、その熟練の男役芸、見応えがありました。

ただ、今回残念ながらもう大劇場で主演する力は…と思いましたね。芸に対してストイックな面って、ラヴィックのお芝居からもうかがえる。男役としての佇まい、素晴らしいの一言です。でも、宝塚の大きな劇場でセンターを張り、二階後方まで届く存在感はなかった。(この演目で、席が…というのも差し引いても)意外と若々しい芝居で、重い過去と現在を背負う壮年ラヴィックが、何故ジョアンみたいな若い女を求めるのか、その切実さが感じられなかったせいもあるかな。(これは本の問題もあるでしょうが)

相手役さんとの組み合わせも、成功しているように思えなかったですね。真彩希帆ちゃんはとても可愛らしい娘役さんですが、15下とはいえ、ジョアンは只の可愛い女か?は疑問です。ジョアンは「普通に」弱く、軽薄で、愚かな女ですが、現代の女子大生みたいな類ではないと思うんですよ。真彩ちゃんの「親しみ持てる良い子」で「賢い」面が、この芝居では逆に役の魅力を損なう結果になっていたように思いました。ジョアンを7嫌な女」に見せないのは彼女の力。でも、台詞にもあるような砕けた魅力が乏しいのです。前から気になっていましたが、笑顔がとてもキュートなのですが、その表情の種類が少ない。イメージぴったりの朗らかな役は意外と物足りなく、内に抑制された役の方が魅力的。だからこそのこれまで、あのシャロンやマリー・アンヌだったと思います。なにぶん技術が高いだけに、特に芝居は過程をとばして即最適解に辿り着いている印象があり、でも芝居ってその過程があるからこそ輝くものじゃないですか。そういう意味では残念だったかな…

次回『ファントム』、クリスティーヌは芝居で明らかな難所があります。曲が魅力のミュージカルですけれど、彼女の次のお芝居に期待したいと思います。

本来のトップのだいもん(望海風斗)、現二番手の咲ちゃん(彩風咲奈)、以下全ての役柄が役不足に見えたのも今回の雪組に合っていない、と感じた要因でした。だいもんボリスは轟さん相手にさすがでしたけどね。ちゃんと同士に見えました。柴田先生の作品は結構娘役にも大きな役がある印象ですけれど、今回は女主人フランソワーズの美穂圭子さん以外は印象的な役、なかったですね…

 

おわりに、再演の意義とは

「愛」や「いのち」というテーマ、そして戦火の~、同様の題材って宝塚でも他の演劇でもあらゆるやり方で取り上げられており、そんな芝居を「今こそ」「何故」古典的な文脈で再演したのか。アールヌーボー調のセットや回る盆の転換、ダンスシーンも美しかったけれど、それだけ…という印象でした。初演を知っている方の感想を辿ると、銀橋の使い方や曲もかなり変わっているようですね。「あの名作、凱旋門がこれ…?」というのが正直な気持ち。こういう題材を上演する以上、いくら宝塚だとしても時代性は意識するべきだと思います。戦争は日常からだいぶ遠のき、宝塚も演劇界もたくさんの作品を上演してきたのだから。制作側が轟悠に大劇場主演をさせたい、ということしか私には感じられなかった。それが今回の上演の印象で、それ以上でも以下でもない公演だった、というのが感想です。

 

…辛めに長くなっちゃいました。本来のこの作品はどんなものだったのか。レマルクの原作、読みたくなりましたね。絶版本ですが、電子書籍化しているところがあるので、こちらで読んでみようと思います。

凱旋門(上)

次回はねっとり大人のラテンショー、ガートボニートのレビューをお届けします!

 

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もっと妖しく美しい美弥るりかが見たい…!!@宝塚月組『瑠璃色の刻』

 月組二番手スター、美弥るりかさんの単独主演公演が先日スカイステージで初放送となりました。今回は映像での観賞ですが、この公演のレビューをお届けしたいと思います。

 

 

公式あらすじ

ヨーロッパ史に今も多くの謎を残すサン・ジェルマン伯爵。ある者は彼を不老不死の超人といい、またある者は稀代の魔術師だという。時空を超えて生きる錬金術師であり、比類なき予言者、そして正体不明の山師──。
ふとした事から謎多きその伯爵になりすました男は、瞬く間に時代の寵児となり、いつしか宮廷での立場は大きなものになっていく。しかし、やがて押し寄せる革命の渦に巻き込まれ…。18世紀フランスを舞台に、「サン・ジェルマン伯爵」として虚飾に生きた一人の男の数奇な生き様をドラマティックに描くミュージカル。

月組シアター・ドラマシティ公演 ミュージカル『瑠璃色の刻』 [DVD]

月組公演 『瑠璃色の刻(とき)』 | 宝塚歌劇公式ホームページ

 

舞台全体について

舞台美術は原田作品でお馴染み松井るみさん。実在のシャンポール城のそれを模した螺旋階段をぐるっと円形に配し、まるで盆が有るかのように展開に合わせ回転する大型のセットが組まれています。二幕ではこのセットが半分に分れ、どことなく不穏な印象に。音楽はこれまた原田作品ではお馴染み、玉麻尚一さん。ドラマティックな楽曲はソロ、デュエットともに難曲揃い。物語を盛り上げます。

 

ストーリーと場面づくり

物語はサンジェルマン伯爵とそれに魅せられた人々の物語、とでも言いましょうか。

サンジェルマンという正体不明の人物をフランス革命という宝塚でお得意な時代に寄せ、賢者の石に纏わるミステリアスな物語に構成した、という点は非常に面白い試みであったと思います。オープニングや第一幕クライマックス、第二幕冒頭では、シモン(サンジェルマン伯爵)が賢者の石の魅せられ、取り憑かれていく様が歌、ダンス、舞台美術の転換…で劇的に表され非常にドキドキする構成。宝塚でお馴染みのフランス革命の登場人物たち、マリー・アントワネットルイ16世、ネッケル、ロベスピエールも登場しますし、ファンには親しみが持てる題材ですね。後半はフランス革命を中心にストーリーが紡がれ、シモンは王宮側、親友ジャックは革命勢力側として革命の動乱に巻き込まれて行きます。

 

瑠璃色の刻の作りの「甘さ」

ここからちょっと長々と辛口で行きます。わたしはどうも原田さんの芝居づくりの「詰めの甘さ」や「安直さ」が気になるんですよね…。読売演劇大賞を受賞した宝塚期待の演出家なのだから、一ファンとしてもっと頑張って!とお尻を叩く気分で毎回観ています…!(過去記事も結構辛口です…)

原田作品の題材は数々の歴史や創作の有名人を扱い守備範囲も広い。きっと勉強熱心な方なんだと思います。さらにスタンスとして、これまでの「宝塚の守備範囲」から敢えて「外す」ような題材を好む傾向がある。凰稀かなめさん主演『ロバート・キャパ 魂の記録』、望海風斗さん主演の 『アル・カポネ —スカーフェイスに秘められた真実—』

轟悠さん主演『For the people —リンカーン 自由を求めた男—』 等、硬派な男役像、社会派な物語を好む。

そういう意味で今回は宝塚の観客が求める「宝塚らしさ」に寄せた題材でした。…しかし、これもまた原田先生のあるある…なんですが、やはり「ストーリーが弱い」。

この芝居、見せ場であるはずのミステリアスな要素(賢者の石、サンジェルマン伯爵)の処理が甘く、各キャラクターのエピソード作りや見せ方が物足りないのです。楽曲がとても素敵なのに歌詞もどこか抽象的で何を歌っているのかわかりにくい印象。どんなにドラマティックに歌わせても、そもそもキャラクターの心理を順に観客が追わせ、キャラクターの気持ちに寄り添える物語がなければ観客は戸惑います。

この芝居で一番キャラクターがわかりやすいのはアデマール。両親を亡くし、御前公演でマリー・アントワネットに踊りを気に入られ、王宮に出入りするようになり、復讐を決意。ロベスピエール、ネッケル、ルイ16世あたりはエピソード自体物足りないものの、本筋ではなく、観客の中である程度イメージが出来上がっており、そこに助けられている。「でも」肝心のオリジナルキャラ、シモンとジャックは足りていない。

何故旅芸人一座を抜けたのか?

どういう個性を持っているのか?

どういう性格なのか?物語からわかりずらい。

一幕の段階でシモンとジャックがサンジェルマンを語り貴族や王族を騙すシーンの台詞、改善の余地ありです。観客としては大ボラ吹きと「本物」の違いをもっと納得させて欲しいんです。そこが作家の技の見せ所で、ウイットに富んだ台詞であれば役柄もチャーミングに映るはず。

賢者の石とはそもそも何だったのか?

サンジェルマンとはどんな人物か?

実はシモンはサンジェルマン伯爵として王宮で意外と「大したこと」をしていない。

マリーの良き相談相手ではあったし、貴族たちにも持て囃された。「でも」王宮を手中に収めようとした訳じゃない。

では賢者の石は、アントワネットはシモンにとって一体どういう存在だったのか?そこがこの物語では「ふんわり」している。

再びシャンポール城の一室で夢から覚めたシモン、アデマール、ジャック3人でこの物語は幕引きとなります。なら、恋愛関係でなくとも初めから3人の関係性が分かるエピソードを入れればいいと思うのです。フランス革命は歴史的事件ですが、この芝居では「一要素」で「背景」なのですから。どうもフランス革命やアントワネット周辺を描くことに時間を割いたため主要三キャラが割を食っていた印象があります。

…まだまだ言いたいことはあるのですが(苦笑)、物語についてはここまでで。

 

原田先生は宝塚新進の期待の演出家だからこそ、もっと一作一作丁寧に作って欲しいな、と思います。決してダメダメではなく(という言い方も失礼ですが)、センスが良くて素敵なところも沢山ある演出家だからこそ、ね…という一ファンからの戯言でした…

 

キャストについて

美弥るりかさんはこの公演が満を辞しての単独主演。ウエービーな長鬘で妖しげな美しさ、時折見せる流し目はなんて蠱惑的なんでしょう。だからこそ…!こう、もっと闇を抱えて苦悶する様子や、闇落ちして言葉巧みに周りを騙し、王宮を手中に収め掌で転がしたり、艶めいた場面を見たかった…!と思うのは贅沢なのぞみでしょうか。いや、この芝居でもあるにはあるんですよ。でも…!美弥るりかさんなら…「あの」みやるりさんなら…もっと…!もっと妖しく色濃く出来る…!!でも役柄が小さい…!!

上級生の実力派スターさんだからこそ、役がどこか子どもっぽいが非常に残念です…。

二番手格月城かなとさんはこの公演で月組デビュー。硬派な存在感でしっかり芝居心をアピール。今は更に舞台姿が洗練されている印象です。ヒロイン格の海乃美月さんはダンスと娘役力の方。線の細い娘役さんですが、芯の強い役が似合う。大技イタリアンフェッテも素晴らしく、フィナーレのデュエットも輪っかのドレスとは思えない激しめな振りを綺麗に捌いて踊る実力派。あとはもう一人のヒロインとも言える白雪さち花さん。宝塚作品のマリー・アントワネットはやはりヒロインとして立つ。それだけ無視出来ない大きな役。センターで大曲を歌い立ち去る、凛とした美しさが印象的でした。ロベスピエール役は宇月颯さん。老執事テオドールは若干無理があったと思いますが(ここ輝月さんとかじゃダメだったんですかね…)、センターで歌い踊る姿はいつだって隙なくカッコイイ。本当退団が惜しまれます…

おわりに

原田諒先生の最新作はまもなく東京公演が開幕の『MESSIAH(メサイア) −異聞・天草四郎−』こちらなかなか好評のようです。

元々中小劇場の演出で成果を出している方ですし、劇的な場面も作りも上手い。舞台の絵面の美しさもある。でも脚本は…キャラクターは…というのがファンの間の評価だと思います。どうしても「見せたい場面」のためにキャラクターを動かしているようなストーリーになってしまうんですよね…

わたしは原田先生、是非一度、洋物ショーを作って下さい…!と切望していますが(今回のショー場面も素晴らしかった…!そう思っているファンのかた多いですよね?ね?)とりあえずはもうすぐ観劇予定のメサイアを楽しみに待ちたいと思います。良い意味で期待を裏切ってくれますように。

 では今回はこのあたりで。次の宝塚の記事は凱旋門/ガトボニをお届けできれば、と思います。本日は月組エリザベートがいよいよ初日!遠征を予定しています。初・生エリザにドキドキです。

だんだん更新頻度も復活すると思うので気ままにお付き合いくださいませ。ではナギナリコがお届けしました!

 

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イギリス人演出家によるジャパネスク・シェイクスピア@ジョン・ケアード演出 帝国劇場『ナイツテイル』

ミュージカル界のプリンス井上芳雄さんと帝劇『Endless SHOCK』で誉高いジャニーズの堂本光一さんが共演する話題作が帝国劇場で公演中です。日本ではかなりマイナーなシェイクスピアフレッチャー共作『二人の貴公子』、チョーサーの『騎士の物語』、ボッカッチョ『Teseida』を下敷きに、世界的に有名な演出家、ジョン・ケアードが手がけたオリジナル作品です。

二人の貴公子

他のキャスト陣も豪華で、なかなかチケ難公演だったようですが、幸運にもチケットが手に入り、行ってきました。わたしはジョンの演出する作品のファンなんです。

以下長めですが公式のあらすじから。

 

 

物語

テーベの騎士で従兄弟同士のアーサイト(堂本光一)とパラモン(井上芳雄)。2人は厚い友情を誓い合い、騎士としての誇りと名誉を何よりも大切に生きていた。戦争により敵国アテネの大公シーシアス(岸祐二)に捕虜として捕えられるも互いに励まし合いながら同じ牢獄で過ごしていた2人は、ある日シーシアスの美しき妹・エミーリア(音月桂)を牢獄の窓から見掛け、同時に恋に落ちる。だが、アーサイトは追放され、テーベに戻るよう命じられる。アーサイトは残ったパラモンがエミーリアに近づくのではないかと、一方パラモンは祖国に戻ったアーサイトが兵を率いて攻め入りエミーリアを奪うのではないかと、互いに敵愾心を抱きながら、愛するエミーリアを必ず手に入れると決心し道を違えて行く。

テーベへ戻る道中で、アーサイトは森の楽団を率いるダンス指導者ジェロルド(大澄賢也)に出会う。エミーリアの誕生祝賀の稽古をしている一座に名を偽りダンサーとして加わった彼は、再びエミーリアに出会うチャンスを得る。その頃パラモンは、食事の世話をしてくれる牢番の娘(上白石萌音)の手引きにより牢獄を脱出する。牢番の娘は脱獄という危険を冒すほどパラモンを愛していたが、ふとした瞬間にパラモンが去ってしまい、ショックのあまり正気を失ってしまう。

エミーリアに再会したアーサイトは、シーシアスが愛するヒポリタ(島田歌穂)の計らいも有り周囲には正体を隠して彼女に仕えることになったが、シーシアスやエミーリア達と狩猟に出かけた森で、無二の友であり今や恋敵となったパラモンと出会う。艱難辛苦を経て再会した2人は、どちらがエミーリアを得るにふさわしいか男か、愛と名誉そして生死を賭けて決闘を挑むのだった―。

帝国劇場 ミュージカル『ナイツ・テイルー騎士物語ー』

 

舞台全体について

舞台美術について。背景は黒と濃い茶の紙に木枝がまだらにちりばめられ、中央に扇型(蜘蛛の巣も思わせる)の大きな木枠、左右に階段状の足場が配置されています。オケは舞台前方オケボックスと、和太鼓等和楽器が舞台奥に組まれた左右の足場に配置。舞台中央は円形で、開演直後にそこから焚火の火がともります。

音楽はオケと和楽器のコラボ、と言った趣で、ジャパネスクを意識。しかしただの日本趣味によった風ではなく、ポップスも多用。

衣装も日本の甲冑、鎧、着物等を思わせるデザインで、こちらも日本を意識。ただ、どちらかというともっと泥臭く原始的な印象が近いかも。

踊りに関してはモダンを取りいれている部分もあれば、マイムや民族的であったり…と様々なティストが混在したものになっています。(ダンサー陣の踊りはどれも素晴らしい、特に「鹿」のマイム)転換時に土着的な儀式を思わせる弧を描いた集団の踊りが取り入れられているのが印象的でした。(デヴィッド・パーソンズ振付)

一見様々なテイストが混ざりつつも、舞台全体のまとまりが損なわれないのは、ジョン・ケアードの手腕ですね。

 

『二人の貴公子』のこれまで

さて、シェイクスピアは知っている、なんなら見たことがあっても、『二人の貴公子』の原作を知っていて、読んだことがある人は少数派ではないでしょうか?舞台化されたことも日本では僅かに数えられるほど。物好きしか舞台化しないのでは、という作品ですが宝塚の小公演と、蓬莱竜太さんが脚色したオリジナル作品がこれまで上演されています。いずれにせよ商業では滅多に上演されない作品だと思います。

『二人の貴公子』 | 月組 | 宝塚バウホール | 宝塚歌劇 | 公式HP

愛之助、獅童が『赤い城 黒い砂』で意気込み | 歌舞伎美人(かぶきびと)

何故上演されていないか…シェイクスピアの共作と認められてはいるものの、知名度もなく、また戯曲の出来が悪いからかと思います。原作を読んだ私のような物好きな方なら、この戯曲のラストは唐突で面食らうでしょうし、牢番の娘の扱いも酷い。言ってみれば原作は「後味悪い」作品なのです。

 

ジョン・ケアード流ジャポネスク・シェイクスピア

そのような「後味悪い作品」からジョン・ケアードが井上芳雄堂本光一の二人にあてて作りあげたこのナイツテイル、なんということでしょう、舞台から受ける印象は爽やかでユーモアたっぷり。原作を読んでいると一体いつアーサイトとパラモンが猜疑心を募らせ、バチバチ敵対し合うのか…?と気になってしまうのですが、確かにおのおの猜疑心を募らせる場面も、敵対する場面もありますが、途中アイスブレイクしてからは終始ユーモラス。土着的な雰囲気のセットの中で行われる芝居は意外とポップで明るい。アーサイトとパラモン、ふたりは同じエミーリアという女性を愛してしまった。でもふたりの絆は固く、例え困難が待ち受けようともその友情は変わらないのです。ふたりの微笑ましさに客席からも終始笑い声が。

クライマックスはドラマティックでありながら、原作の打ち切りEDではなく誰もが幸せな大団円に。実はこの結末もまた、他のシェイクスピア作品ではお馴染みのエンディング方式です。一観客としてその結末を微笑ましく受けとめられるのが幸せ。

舞台装置や演出は先述の通りジャポネスクを意識、土着的で少々暗めですが、日本的なモチーフを取り入れながらも舞台全体の統一感が失われておらず、ミュージカル化も非常にナチュラル。クライマックスのダイナミズムも素晴らしい。土着的な信仰、儀式を思わせます。今井麻緒子さんの訳詞も、非常に耳馴染みが良い。

今回が日本初演、とあちこちで宣伝しているので、今後日本発・海外での上演も視野に入れているかもしれません。甲冑や着物を模した衣装、演出の日本的要素、例えばクライマックスの旗取合戦等は確かに日本文化にインスピレーションを得たものですが、上手くアレンジされており、海外の俳優達の肉体で演じても割とすんなり演じられるのではないでしょうか。『ナイツテイル』はジョン・ケアード流日本発・ジャパネスク・シェイクスピア。しかし実は今回の演出キモは俳優たちの「肉体」「身体表現」にあると思うのです。流麗なダンスによる転換、迫力の戦闘シーン、そして終幕のダイナミズム。その魅力は役者が変わってもパワーダウンすることはないと思います。

 

キャストについて

ジャンルは違えど同じ「プリンス」として名を馳せる堂本光一さんと井上芳雄さんのふたり。光一さんを生で拝見したのは初めてでしたが(これでもKinKi世代)、思っていた以上に線が細く小柄な方でした。出演者の中でも際立って小柄だったかも…。しかし帝劇の『Endless SHOCK』で長年主演を務めたキャリアは伊達じゃない。キャリアに裏打ちされたスター性を感じさせ、舞台上で存在感を発揮。得意のダンスではもちろんのこと、本来歌が得意なスターさんではないと思いますが、かなり歌の面も健闘されてましたね。芳雄さんと声の相性が良いのもあるのかな。

井上芳雄さんは舞台映えする恵まれた体躯に歌は何が来てもこの人に任せておけば安心!という頼もしい仕上がり。アーサイトとパラモンの曲では高音を担当、しっかり光一さんをフォロー。劇場に響き渡る声量も素晴らしい。こうして書くと凸凹コンビに見えますけれど、確かに(体格面では割と)そうなんですが、不思議とこの二人のバディぶりに違和感ないんですよね。お二人のチームワークの良さがそう感じさせるのかもしれません。

他に印象的だったのは女性陣。この物語は“いつまでもバカやってる男たち”と“知的な(でも哀しみを背負った)女性たち”の物語。アマゾンの女王ヒポリタの影がありつつ凛とした佇まい。見せ場は少ないながら、島田歌穂さんはどんな舞台でもその場を浚う存在感と歌唱力を持っている。そして何と言ってもヒロイン、音月桂さんの魅力的なこと!コケティッシュでありながら優しさと力強さを併せ持つ。前回ジョン・ケアード演出『十二夜』ヴァイオラを演じておりましたが、エミーリアの優雅で品のある美しさに、アーサイトとパラモンでなくとも釘づけでした。原作とは大きく役回りが変わった牢番の娘は上白石萌音さん。原作だとハムレットのオフィーリアのような悲劇的なキャラクターで、今回もその存在が闇に落ちるシーンがあるのですが、手堅く演じてましたね。お芝居も歌も踊りも出来る。かなり小柄なので役は選ぶかと思いますが、今後もミュージカルや歌での活躍を期待します。

 

全体的に舞台美術から音楽、歌にダンスとかなり力の入った公演でした。役者は皆なかなかの実力派揃い。ジョン・ケアードの直近の演出は芸劇『ハムレット』で、その時も日本文化に着想を得た衣装や音楽が用いられています。今回の上演も、ジョンが「日本でやるからこそ」、のジャパネスク・シェイクスピアを模索しているような印象を受けました。今後ジョンのシェイクスピア作品はどう進化していくのか。日本人演出家のそれとは趣きが異なるジョン・ケアードの演出のシェイクスピア作品を、また日本で見られることを期待したいと思います。

長くなりましたので今回はこのあたりで。ナギナリコがお届けしました。

 

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せっかく撮ったのに画質が悪くて…記念に載せておきます。

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我々は、あの家族に何を思うか@是枝裕和監督『万引き家族』

カンヌ映画祭パルムドール賞を受賞した是枝裕和監督の『万引き家族』を観てきました。今回はこの内容についてレビューしたいと思います。

 


【映画 予告編】 万引き家族(ショート予告)

万引き家族【映画小説化作品】

是枝裕和監督 最新作『万引き家族』公式サイト

 

ストーリーとこの作品のテーマ

始まりは商店街のスーパーでの万引きシーンから。祥太(城桧吏)と父親(?)の治(リーリー・フランキー)が手慣れた様子で万引きをし、家に帰る途中でアパートの戸外にいる女の子を見つけ連れて帰ります。

家に帰ると母親役信代(安藤サクラ)、 亜紀(松岡茉優)、おばあちゃん役初枝(樹木希林)。彼らは都心の住宅街の一角の小さな一軒家で他人同士で暮らしています。

 

2時間程の上映時間中、1時間15分過ぎ位まで、「貧しく万引きをしながら暮らしている擬似家族である」こと「以外」はほぼホームドラマを見ているよう。いわゆる「お育ちが良くなく」、家族の会話も絶妙に下品な部分があるのですが、それもなんだか親しみを持って受け止められる。連れて帰った女の子、ゆり(佐々木みゆ)を「りん」と名付け、「家族」として可愛がる様子がストーリーの中心。髪を切ってやり、歯が抜けたら祥太と屋根上に投げてみたり、「家族」で軒先でスイカを食べ、見えない花火を楽しむ。新しい(盗んだ)水着を着せ、夏は家族で海に行く───ここまでで1時間以上かけて見せます。時折差し込まれるスーパーや駄菓子店等での万引きシーンもそこまで強い違和感なく日常に溶け込んでいる。個人エピソードとしては樹木希林演じる「おばあちゃん」が、亡くなった夫(と浮気から再婚した妻)の家庭(実はアキの実家)にさり気なく金の無心をしたり、アキが勤めている風俗店での話等が入ります。

ここから具体的にストーリーネタバレ。

 

大きく話が動き出すのは、海に行った後樹木希林演じるおばあちゃんが死んでから。

おばあちゃんを家族で掘って埋め、(駄菓子屋の主人が亡くなり)、祥太と(ついて行ったりん)の万引きが失敗する。祥太がりんをかばい、捕まる過程で怪我をする。怪我の治療のための入院手続きから、万引き家族」が綻び始め、一気に崩壊する。

祥太を置いて、夜逃げする家族たちあたりから、明らかにカメラの撮り方が変わります。「警察側の視点」であり「万引き家族への世間のまなざし」とも言える。そこに是枝監督の社会風刺的な主張が入ります、我々は彼らをどう裁くのか、正しさで裁けるのか──と言う。

家族観、家族の絆そのものへの問いは、是枝監督がずっと取り上げてきた内容であると言えます。

 

万引き家族と社会からあぶれた人々

カンヌで話題になった時、ネット上では「万引き」という犯罪を扱ってるだけで拒否感を受ける層がいる、みたいな話題があったとかないとか…。

この作品内で「万引き家族」のしていることは犯罪であり、それは終始変わりません。常習的に万引き(窃盗)をし、詐欺まがいなことも普通にやっている。「子ども」達は学校にも通わせず、親(がわりの二人)も学がなくて下品、パートと日雇いで稼ぎ、初枝さんの家と年金にたかっている、と絵に描いたような、ある意味ステレオタイプな「貧しい」家族なわけです。

しかし、彼らはある意味「愚か」で犯罪者ではあるのだけれど、果たして我々と断絶されるような存在なのだろうか、と思うのです。

「自分の子ども」を愛して、「家族」共同体を愛おしみ大切に思っている。さりげなく差し込まれる亜紀の元の家族たちは、お金に不自由せず、綺麗な一軒家に住み、素敵な家族3人で円満に暮らしている。その「無害な」「理想的家族」の気持ち悪さ、みたいなものも、この映画では描かれている。「理想的化されたもの」の歪み、闇が亜紀であり、おばあちゃんの存在なんですね。また亜紀が親しくなるお客「4番さん」(こういう役でお馴染みの池松壮亮)も、そういった理想化されたもの、社会からはみ出してしまった人、とも言えると思います。

「綺麗なもの」「理想的なもの」以外漂白されなかったことにされる社会は、なんて不自然で不気味な社会なんでしょうか。わたしはそこを描く是枝監督のスタンスは素晴らしいと思うのです。

 

子どもが家族にもたらしたもの

ストーリーの中心は「りん」にまつわるエピソードですが、「祥太」の存在がこの映画は巧みでした。祥太はちょっとした言動に賢さが伺え、顔つきもしっかりした子。「スイミー」はおそらく一年生位の教材ですけれど、翔太自身は本来、五、六年生位。「父親」治との関係は、仲の良さを感じさせ、親しみ湧くものでした。一方で、翔太は「父親(家族)が犯罪を犯し稼いでいる」ことに徐々に懐疑的になっていく。おばあちゃんを埋めるシーン、車上荒らしの場面は父親の「かっこ悪さ」が祥太の目を通して伝わる撮り方になっていました。そして祥太は次の万引きでついに捕まってしまう。祥太の内なる静かな変化が、万引き家族に大きな変化をもたらす。「子どもの成長」が「家族」共同体を様変わりさせる。「りん」の存在は家族に新たな共同体感覚をもたらすものでしたが、「祥太」の存在が家族を内から壊すものだった、というのはやるせないですね…薄氷の上の共同体であった、という。

 

キャストについて

まず、先述の子役、城桧吏くんと佐々木みゆちゃん。自然かつ役柄にもあっていてとても良かった。巧みな子役芝居、というよりはもっとずっとナチュラルで、でもだからこそ心に染みる。リリー・フランキーさんはご本人はいつも飄々としつつもダンディなおじ様感ありますが、まあ今回は役自体下品でしたね~。 でももう「父・治」として祥太に再会することはないのかな…とクライマックスを見るとまたそれは哀しくあるわけです。

そして信代役、安藤サクラさんのお芝居が素晴らしい。自然かつ、子ども達への愛に溢れた女性。折しも出産後、復帰第1作だったそうですが、「血が繋がらない母親」信代のあり方こそ、この作品のテーマと繋がる。警察の尋問シーン、尋問側の視点でずっと彼女をバストアップにしてるんですが、あのシーンの内なる苛烈さは凄まじいですね。池脇千鶴という穏やかな声色を持つ女優さんを使っているのが、また…。警察官の池脇千鶴さんとくん高良健吾君はなかなか贅沢なキャスティング。

樹木希林さんや柄本明さんはさすがの芝居で。

おばあちゃんの大らかで実は傑物、という存在感もこの映画のポイントでした。疑似家族共同体を包み込む存在。

 

終わりに

「彼ら」を「ダメか良い」「正義の尺度」でスパン、と片付けてしまうことが出来ないのが、この作品の奥深さだと思います。

言ってみれば万引きは悪いし、人のうちの子を誘拐して自分の子に、も駄目じゃないですか。性風俗でバイトしてるのも良くはないじゃないですか。お金無心に行くのも。

いくら子どもを可愛がっていても、(親がその意義をわかっていないため)学問の大切さを教えられないし、着るものや食べ物に困らない生活を与えることも出来ない。駄目と言えば駄目で、「子どもが幸せだからいい」「血縁じゃない絆がある」って落ちない作品でめある。

ただ、こういう家庭、それぞれ色んな事情で生きてるひとりひとりを、「これがベスト」「これが幸せ」な杓子定規で測れないですよね。

血のつながった親元に戻せばいいのか?決して良くないよね、という。

そういう意味で非常に重層的で繊細な作品でした。

モヤモヤしつつ、「我々」はその靄を受け止めて生きていかなければならないのかな、と。彼らの共同体とこの社会は確かに繋がっているのですから。「他人事じゃないんだよ」と思うのです…

 

…最後までモヤモヤしてますが今回はこのあたりで。ナギナリコがお届けしました。 

 

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