タカラヅカと「差別」の話。
こんにちは。お盆ですね。暑かったりちょっと過ごしやすかったり、気象に振り回されてる今日この頃です。
さて一昨日、購読しているブロガーさんがこんな記事をアップされていまして。
うう~ん…と、色々考えてしまいました。
タカラヅカが旧態依然とした保守的な組織で、まあ色んな面で他の社会の諸々から浮世離れしたところがある、ってのはファンやっていると結構すぐ気づくわけです。
でもその傍からみると古臭い、時代錯誤的な部分が、宝塚を「タカラヅカ」足らしめている、みたいなところもあるのかな…と。
以下、上記の記事を受けて、この件について個人的に思ったこと色々書きたいと思います。
入団条件
宝塚に入れるのは容姿端麗の未婚の女性。この時点でどうなんだ、男性が入れないのはおかしい、差別、みたいなツッコミも出来ると思いますが…こう伝統芸能の世界(と宝塚も言っていいですか)で、そういう話をするのはなかなか難しい面があります。作られた当時と、今とはどうしても時代が違う。
ではどういう経緯で生まれたか、ってのを少し書いておきたいと思います。
宝塚の成り立ち
そもそも宝塚、阪急電鉄創始者、小林一三が沿線の開発事業の一環として、プールを改造した劇場ではじまりました。その後、宝塚音楽学校が組織され、公演数も増加、大劇場が作られ…と発展していきます。
その過程で小林一三が宝塚の団員は「生徒」であり、教育方針を「上手な女優ではなく、一人前の女性を創る」ことにおき、著書でも、結婚してこそ女性の本当の幸福は得られる、「六百人の女生徒の中幾十人かの芸術家を生み出すより、残りの五百数人が家庭の奥様になるにふさわしい芸術的な教養を受け、“新しい女性”として結婚生活に入り、「朗らかな明るい家」をつくることが大切だという方針である」(小林一三『私の行き方』)
と言ったことが述べられています。
大正時代のモダニズムの流れとは一見ズレてるのかな、とも思うのですが、こう「家庭本位」というスタンスをとることで、「少女歌劇」という先進的な取り組みへの非難を和らげようとしたのでは?という見解もあります。(津金澤聰廣『宝塚戦略』)
まあ、女性、個人の多様な生き方を尊重する現代においては、どちらにしても自体錯誤な考えです。
ただ、「花嫁学校」として「家庭本位」を掲げることが、タカラヅカのブランド力を上げ、「誰もが安心して楽しめる国民劇」ですよ、と発展してきた面もありますよね。娯楽、芸能について風当たりが強かった時代性もあり、そう言わないとやってけなかったのかな、とも。今はどうだかわかりませんが、昔は宝塚出身者は嫁の貰い手に困らなかった、みたいな話も聞きます。
もし男性団員を入れて、未婚の女性の縛りをなくしたら…?
男性の団員を入れようとしたことも昔あったようですね。
ただ、未婚の女性限定の縛りをなくそう、って話は今まで出てきたことあったのかなあ…?たぶん、議題にすら上がらずここまで来ちゃったんじゃないかと…前鳳蘭さんが、「結婚して、子どもを産んでも宝塚にいたい」と劇団に話したけど、一笑に付され、結婚するため辞めた、みたいなこと(ざっくり)を何かの媒体で言っていたのを覚えています。
わたしがこの時、今回も思ったのは、「もし結婚して良かったらみんな卒業しないだろうな」です。もちろん今の生徒さんたちが皆、昔みたいに「結婚するからやめる」方ばかりじゃないと思いますが、「寿退団」が歓迎されている感じ、今でもなんとなくありますよね。もし結婚してもタカラジェンヌでいられるなら、みんな(今ほど)辞めないだろうな…と。それ自体は喜ばしいのかもしれないけれど、入学して(結婚するような年代には)卒業、っていう了解、「限りある期間にしか在籍できない」「いつか卒業する」からこそ、常に全力投球、素晴らしいパフォーマンスを見せてくれる部分もある気がします。結婚してやめることがいい、悪い、という話ではなく、団員の入れ替わり等、常に留まることなく変化しているからこそ、観客も新鮮な気持ちで何年も何十年も応援出来るのかな、と思う部分もあります。
一ファンの気持ちとして、もし在団中に自分の好きなスターさんが結婚しました!(特に男役)でずっと応援してられるのかしら、となんとなく不安に思ったり…。すみれのベールに包まれているからこそ応援出来る、というか結婚と言う現実的な日常の出来事を受けてもフツーにじぶんはファンでいられるのか?という心配。ワガママなファンですね。
ところで、よく比較される男性しか出られない歌舞伎界で、市川海老蔵が女優寺島しのぶさんと共演されましたね。
これ歌舞伎詳しくないわたしにはどういう位置づけの公演で反応があったかわからないのですが、海老蔵さんのこれまでの言動には旧来の歌舞伎の伝統を見直していこう、みたいな意志を感じる部分がありました。「歌舞伎の家」で生まれた子しか主演を張れない、に関しては故中村勘三郎さんも変えていく、と話していた気が。
ただ、同じく「男だけ」で、多くが「特定の家柄の生まれの人間」でやってきたからこそ、芸能として発展した部分もあるのかな、と。宝塚も色々あっても「(未婚の)女性だけ」でやってきたから、ここまで発展してきたという側面ってどうしてもあると思うのです。
そもそもそんな考え方自体性差別的、って言われたらそれまでなんですけれど。宝塚で今後男性劇団員を入れる、結婚OK、はあまり現実的ではないかな…
で、長々と書いて来ましたが、そういう成り立ち、底に流れる思想そのものが現代の価値観に照らすと明らかに時代錯誤になっている、さてどうしますか?どうですか?って話かと思うのですよ。
時代錯誤なタカラヅカ
わたしが観客として見ていて保守的だな~って思うところは以下のような点です。
1.男女観が古い
2.現代の価値観にそぐわない作品が多い
3.男役至上主義
4.娘役の早すぎる抜擢
男女観が古い
男役は現実の男性より「(理想化された)男らしく」、娘役は現実の女性より「(理想化された)女らしく」というのが宝塚の芸の目指すところです。
過去作を見ていると、どうも「女は三つ指ついて三歩下がって控えめに」みたいな女性像が求められるキャラクターも多く、時代を加味しても「女は何も言わずに男に都合よく華添えとけばそれでいいんかい」みたいな現代に生きている人間からするとモヤモヤする作品、ありますよね。しかも再演される。
そんな作品ばかりではないですけれど、男役がトップスターかつ主演者である以上、娘役には男役を「立てる」ことが求められる。芸として要求されるのはもちろん、普段の立ち居振る舞いも。(余談ですが、娘役さんが男役さんにお菓子やお弁当作ってきた、男役から相手役に指輪をプレゼント、ってプライベートエピソード、ファンとして微笑ましくも、モヤモヤもします…)
わたしはもっと演目の幅は広がっていいと思います。いわゆる今だと「女役」と言われるような「強く」「自立した女性」がヒロインでも宝塚の芸は成立すると思いますし、男女関係が必ずしも恋愛でなくてもいい。密な人間関係を描いた芝居が見たい。例えば男女のバディもの、だって見てみたい気がします。観客は確かに女性ばかりだし、「美しい男女のロマンス」を期待している部分も大いにありますけれど、必ずしもそれだけに拘らなくてもいいな…と。
現代の価値観にそぐわない作品作り
男女観が古い、と重なるのですが、とにかく「作品の根底に流れる思想が古い」ですよね。ヒーローやヒロイン、ひいては男はこうあるべき!女はこうあるべき!みたいなのは、根底は「清く正しく美しく、そして朗らかに」、「人として良く生きる」みたいなところだと思うんですよ。それなのに、現代の人間からすると「はい?」って言うような女性差別的な台詞や扱いがあったり。
また、人種やマイノリティに対して誇張された表現や揶揄するような表現が多いのも気になります。
ブラックフェイスの問題については以前少し書きましたが、
演劇におけるブラックフェイス問題と「Cultural appropriation」について。 - ナギ ナリコのENTREVUE BLOG
例えば中国人は「〜アルよ」みたいな喋り方をしたり、同性愛者を「おかま」と言ったり。「風と共に去りぬ」は名作ですが、いわゆる黒人の扱いが酷い作品ですし。
演出家自身が宝塚「以外」の外部の演劇の時勢に疎いから、こんな時代に遅れをとった発想、作品が多いのかな、と。もしくは「宝塚らしさ」に拘りすぎ。もちろん制作側の人間が専門性を用さず、脚本チェックもままならないから、こんなことになっているのでは?と推測します。女性は特に目が厳しいのだし、そういうことはきちんとして欲しい。
男役至上主義
トップスターは男役だけ。トップ娘役はヒロインではあるけれど、主役とは一線を画す、というのが今の宝塚です。「娘役トップスター」という言い方はあまりせず、あくまで「トップ娘役」。古くは娘役の方が人気があった、みたいな話も聞きますが、今は明らかに男役の方が人気があります。舞台上、物販その他色々な扱いで男役>娘役なんですよね。あんまり声を大にしてに言えないですけれど、宝塚は年功序列で、娘役の方が下級生で抜擢されることを差し置いても、娘役の方が男役より人気出ることはないようなシステムに表でも裏でもなっている。
おんなじ試験を受けて入っているのに、娘役の方が色々な面で待遇が悪い、というのはどうなんだ、と思うんですよ。
そもそも身長の高い女性は割合的に少ないのだから必然的に娘役の方が競争が激しいですよね…娘役の方が実力が…ごにょごにょ。
役柄の面で、男役程大きな役を娘役には任せない、のも気になる。
作品の中で女性キャラクターの役が大きい演目は、結構な割合で「男勝り」で「自我をしっかり持っている」女性キャラが出てきます。「女役」と言ったりする。それらは娘役が演じるにはチャレンジングで、時に押し出しや味を期待して男役に任せられることも多い。「風と共に去りぬ」等。
「男役より前に出ない」というのを徹底されている娘役には難しいキャラクターなのはわかりますが、にしたって娘役の扱い、役をもっと大きくしていいじゃない、というのは見ていて常に思います。芝居だけでなくショーでも。
月組のトップ娘役愛希れいかさんが単独で小公演の主演をし、次の『エリザベート』で花道を飾る、それ自体は素晴らしい。「トップスターの相手役」としてではなく、トップ娘役自身の花道を作る機会、役柄を増やして欲しいと思います。確かに娘役に男役程の集客力は期待出来ないかもしれない。でも昨今は宝塚自体の人気が上がっていて集客力の懸念は以前よりなくなっている。右も左も分からない下級生から実力や素養で抜擢して、厳しい環境に晒しているのだから、もっと大事にして欲しい。
娘役の早期抜擢
これも前ツイで書きましたが、トップ娘役の就任はもっと遅らせるべきだと思いますね。研7過ぎたら機を逃した、みたいな今の風潮なんなんですかね。研4、5あたりでは早すぎで、せめて新人公演卒業間近位から、研10になっても良いと思います。男役は十年で一人前、では娘役は?って言う。男役に比べ娘役の方が芸の成長が早い面はあり、若いからこその「初々しさ」が求められる部分もある。それにしたってまだまだ下級生で就任、となると娘役の芸の質はどうなるの?組子の士気はどうなるの?ですし。若ければいいんかい、みたいな女性観が働いている気がして気になります。トップスターと同じくトップ娘役も組の憧れ、お手本になる位の学年で就任して欲しいです。
宝塚各組トップ娘役は娘役みんなのお手本に!トップ娘役就任時期について考える。 - ナギ ナリコのENTREVUE BLOG
おわりに
…だんだん長くなってきたので締めたいと思います。
他にも例えばファンがほとんど女性なのに演出家陣に女性が少なすぎるだろう、とか、そもそも宝塚歌劇団は女性が働きやすい環境なのか?っていう疑問も湧きますよね…
まあ、色々あっても見続ける、(チョロイ)ファンなじぶんなのですが、宝塚は演目の企画段階でもっと色々改良の余地があるでしょう。
最近は新進の上田久美子先生が初の女性演出家のショー作家として、「BADDY」のような社会風刺的な要素が入った作品を送り出しましたし わたしが常日頃色々言っている(苦笑)原田諒先生は宝塚の作品作りの可能性を広げようとしています。
そういう意味では色々希望がありますね。
劇団側には観客の反応にもっと真摯でいて欲しいな、と一観客として願っております。
…ということで長過ぎる内容でしたがここまで。
またこのあたりの話については継続的に考えていきたいと思います。
ナギナリコがお届けしました。
初めてご贔屓の宝塚のお茶会に参加した話。(レポなし)
こんにちは、ナギナリコです。
気付いたら、随分間が空いてしまったのですが、まあ、ブログもわたしも夏休みということで〜またお付き合い下さい…!
Twitterは基本毎日のように、ゆるゆる凪のごとく、たまに荒ぶって語気荒めにつぶやいております…!
ナギ ナリコ@燃え尽くす🔥8月 (@nagi_narico) | Twitter
さて、先日人生で、タカラヅカファンになって初めて「お茶会」に参加して来ました!
どの方か~?ってことなんですが、このブログを見て下さっている方ならご推察頂けると思います、星組の七海ひろきさんです~!!(それはもちろんです、ふふ)
わーきゃー!!ということで。
突然ですがわたしの好きな宝塚スターさんをブログで語り倒します。その①~七海ひろきさん~ - ナギ ナリコのENTREVUE BLOG
ファンになってまだまだ日が浅いんですが、観劇は(じぶんでは)割としていたのですが、「お茶会」はちょっと自制していました。お手紙書いてご案内もらっても、うーーーーん(どうしよっかな)…みたいにぐるぐるしていました…
だって…観劇にお金と時間を使いたいし…みたいな思いもあったのですが、ええ、心の中はあれですね、これ以上沼にハマるじぶんが怖い…(おののき)みたいな気持ちがあって。
でもね…今年になってからちょっと思うところあり、色々ファンとしてスタンスを変えてみようかなと思い立ち…!よしっ、お茶会にいくぞっ!と思い立ったのです。
さて、ではここではまず「宝塚のお茶会」とは何ぞや?!というところから初心者の方向けにご説明したいと思います。ただわたし自身も「お茶会初心者」です。人に聞いたり、調べて知っていることも多いので、何か気になるところがあったらこっそり教えてくださいね。
宝塚のお茶会とは?
各スターのファンクラブ(又は有志)が開催するファンミーティングのことを通称「お茶会」「お茶飲み会」と呼びます。ファンクラブのある男役さんだと「お茶会」ファンクラブがない娘役さんだと「お茶飲み会」と言ったりします。
だいたい公演毎に西(宝塚)→東(東宝)で公演期間中行われ、場所はスターさんによって様々。男役のトップスターはじめ、人気スターさんだとホテルの宴会場など、娘役さんや下級生だとカフェやホール等を貸し切って行われていることもあるようです。
お茶会ではどんなことするの?
ファンミーティングの内容も人それぞれらしいのですが、オーソドックスな感じはおそらく
・物販
・テーブル形式にお茶とスイーツ(場所によって軽めの食べ物等)がサーブ
・ジェンヌさんが登場
・ご挨拶後公演に関するトーク
・歌など
・握手や写真撮影会
・抽選会
・各種案内
・お別れの挨拶
以上順不同+「おみやげ」を頂けます。
公演のスチール付きのグリーティングカード、オリジナル雑貨(会によって異なる)等小物(お菓子)、ファンクラブ等各種案内、等々
更に加えて、この当日のお茶会の様子を撮影した写真が(当日書いた)封筒に入れられ、自宅に届く…といったような流れ。
お茶会の様子が知りたい!
お茶会?どうしよう?って方はまずは検索オススメします。宝塚はご贔屓のスターさんを熱心に応援しているファンの方が多いので、Twitterやグーグル先生で「(ご贔屓の名前)+レポ」「〇〇茶」「〇〇 お茶会 お茶飲み会」で検索するとレポをあげて下さっている方が大勢います。お茶会は週末の夜にあるので、ツイやってるとTLが賑やかになりますね。「えっ、何々さんのお茶会こんなことやるの?!楽しそう!」みたいな様子もうかがえますし、「えっ…何々さん、こんな素敵な面があるんだ…」っていう新たな魅力の発見とかね。レポや感想見ると行きたくなりますよね〜。沢山のツイ主さんの萌えポイント解説もいつもすばらしい!(この場でいつもレポして下さる方に感謝)中には通称「レポ禁」と言って、お茶会やお茶飲み会の内容をSNSやブログ等にあげるのが禁止の方もいます。ちなみに七海さんも少し前からそうなりました。
お茶会は入口やジェンヌさんが座るテーブルが素敵なお花で飾られていることが多いのですが、宝塚のお花屋さんが手掛けていることが多いです~。(開演前は写真撮影の列ができてる)
服装ですが、カジュアルな普段着からお出かけ着、少しドレスアップしている方まで、様々でした。ジェンヌさんに会うんだし、会場もホテルなど畏まった場所なことが多いので、デート行くみたいに少しお洒落していくのが良いかも。星組は今回日本物だったので、お着物や浴衣の方も沢山いて、素敵でした~!キラールージュだから紅色も多かったです、華やか!
お茶会はどうやって参加するの?
初回なら基本的に三通りありまして、ジェンヌさんへのお手紙に「お茶会の案内下さい」と書いてファンレターを出すか、公演中(開幕してはじめの方)に劇場のチケットだしで(ジェンヌさんの名前のカードを持って立っているファンクラブの方)同様に頼むか。(最近は「お茶会参加者募集中」みたいにカード持って立っている方もいますね)あとは知り合いやファン友達、SNSやネット(Twitterやmixi等)で募集している方経由で取次ぎしてもらうか、です。時期が合わなかったり、例えば宝塚しか開催されていない、日程まだ決まっていない、ファンクラブ会員限定…みたいな時は案内を頂けない時もあります。中には一度ファンレターを書くと定期的に送ってくれるスターさん(とファンクラブの方)もいます。(全員ではない)
ネットのお取次ぎも会員の方だとお席を優遇して頂いたり、ヅカトモさんが出来たりするのでとっても良いと思います!が、たまーーーにトラブルも聞きますので、そこは各自注意して下さいね。
七海ひろきさんのお茶会の…「感想」!!
さてさて。ではいよいよここから…良いでしょうか?笑 ここから七海茶、七海ひろきさんについて。でもでも七海茶レポダメなので…感想で~!
初参加だったので、もう、はあ、これが聞いた・見た〇〇!!みたいなところが色々あって、そこだけで心の中が大忙しでした。お茶会の装花、七海さんのマスコットキャラクターのあざらしの七海くん!あ、噂通り空調超寒かったです(七海さん暑がりで有名)笑、トーク内容も…!!
いつもは劇場で舞台を通して宝塚の舞台化粧顔を見ているので、生で素の七海さんを見れる、しかもものすごく近くで…!ということに本当興奮…!!公演の話もコンパクトながら、スカステで観てるような雰囲気とまた違って親しみが湧く感じ…!!溢れるホスピタリティ…!
というか、素の七海ひろきさんが想像の遥か上で素敵過ぎたな?
スタイル良くて(小顔、ほっそい)気配りの方だから、素でナチュラルかっこよく、お目目キラキラだし、熱い部分もあって…みたいなとこって、まあ、ファンなら知ってますよね?(断定)
でも…!生で見るとこんな感覚なんだ…!というときめき!気持ちのあがりよう…!!
お話の節々にお人柄のあたたかさや、舞台、芸に対する思い、ファンに対しての…って言うのがうかがえて、本当「七海さん…すてき…」というか。
しみじみ「ああ七海さんかっこいいなあああ」(若干萌えが溢れだしてますが)というような…
お茶会でスターさんに「落ちる」方が多い、ってのもうなずけますね…だって…あんな近くで魅力的な部分が伝わるんだもんね!それは好きになっちゃうね!うん、わかる!なんか中毒的ですね…(これが沼…)
という感じでした!
これからは好きなスターさんのお茶会にちょくちょく出没しようと考え中です、だって、た、たのしい…!でもうかつに「うん、ちょっと興味あるな?」位で行くと落とされるかもですね、わたしみたいなのは…!(危険信号)ヅカトモさんも「お茶会が良すぎてファンクラブに入った」「お茶会で落ちた」みたいな人多いですし。ご利用は計画的に、ですね。でもたのしい笑
さて、久しぶりの更新でした!
8月はなかなかあわただしく、色々出掛けたり、インプットしています。それについてもおいおいブログで機会があれば書いて行こうと思いますので、よろしくお願いしますね、それでは、また!
テーマと演出だけではなく「ものがたり」を!@細田守監督『未来のミライ』
今回は映画の話題です。
夏休み映画として注目度の高い細田守監督の『未来のミライ』を観てきました。
以下あらすじです。
とある都会の片隅の、小さな庭に小さな木の生えた小さな家。
ある日、甘えん坊の“くんちゃん”に、生まれたばかりの妹がやってきます。
両親の愛情を奪われ、初めての経験の連続に戸惑うばかり。
そんな時、“くんちゃん”はその庭で自分のことを「お兄ちゃん」と呼ぶ、
不思議な少女“ミライちゃん”と出会います。
“ミライちゃん”に導かれ、時をこえた家族の物語へと旅立つ“くんちゃん”。
それは、小さなお兄ちゃんの大きな冒険の始まりでした。
待ち受ける見たこともない世界。
むかし王子だったと名乗る謎の男。
幼い頃の母との不思議な体験。
父の面影を宿す青年との出会い。
そして、初めて知る「家族の愛」の形。
さまざまな冒険を経て、ささやかな成長を遂げていく“くんちゃん”。
果たして、“くんちゃん”が最後にたどり着いた場所とは?
“ミライちゃん”がやってきた本当の理由とは―
それは過去から未来へつながる、家族と命の物語。
この作品、鑑賞後、感想に困る一作でした。
何故か、と言うと「ストーリーがない」んですよね…この映画。
こう番宣見ると親子で楽しめそうなアニメっぽいじゃないですか。これまでの細田守作品位には冒険要素がある作品なのかな、と期待するじゃないですか。…うん、それは観ると割と打ち砕かれるんですよね。ということでどこがダメか?ということを中心に今回は語っていきたいと思います。※ネタバレあります
未来のミライのみどころ
…と言いつつ、まず、(絞り出した)いいところを!
- 演出、アニメ的な表現の素晴らしさ
- 映像美
- 個性的なキャラクター(もいる)
主人公のくんちゃん(幼児)の元に妹(のちの未来)がやって来ることから物語が始まる今回の作品。例えばくんちゃんが飼い犬ゆっこのしっぽを引っこ抜いて自分に差したら犬になってしまう…ガミガミお母さんが「鬼婆」(イラスト)になってしまう…等、アニメ的な表現は見応えがあったと思います。クライマックス間際の東京駅でのシーンも非常におどろおどろしく、けれど美しくもあって、見応えありますし(スチームパンクっぽい感じ)、この数々表現がこの作品の白眉、と言えるのではないでしょうか。
2.についても言わずもがなで、非常のどのシーンのアニメショーンも「綺麗」なんですよね。
3.キャラクターについても「ある程度」立っている。飼い犬のゆっこ、未来から来た未来ちゃん(はあんまり立っていませんでしたが…)、両親(特に母親の幼少期)、曾祖母、曽祖父(CV福山雅治)のエピソード等、それぞれの歴史、「背負うもの」が描かれているのは、総じて好印象でした。
ただし…致命的にスト―リーが…
問題は、これらの面白い表現、演出、キャラクター等、見どころがある中で、どうして、この作品が最終的に面白くない(言ってしまった…)のか?という話で、それはひとえに、「ストーリーがつまらない」「分かりにくい」部分からだと思うのですよね。
というか、ストーリーがあるようで「ない」。なんだか「くんちゃんがずっと何かやってる話」というか、単調。何か事、ドラマが起こって、どうなった、ではなく、エピソードの羅列のよう。
乱暴に言ってしまえば、この話は「くんちゃん成長譚」で、幼子が自己と向き合い、社会性を身に付いていく話…とも言えると思います。…ただ、かなり苦しい。
割と最初の方で差し込まれる擬人化した(飼い犬)ゆっこの登場シーン、未来のミライちゃんの登場シーンといい、キャラクターは割と良いのに、それらを魅力的に見せるエピソード、仕掛けが、作品内であまり用意されていないんですよね。ぜんぶ唐突で有機的な繋がりが薄い。でも「ひなまつり」のシークエンスのような面白いのか面白くないのかよくわからないエピソードに割く時間がやたら長い…
クスノキを媒体にした「索引」の話も、スタンスとしては良いと思うのですが(過去作に似てはいますが)、どうも後付説明しましたー!!という印象がぬぐえない。くんちゃんのあれこれ、の印象が強すぎるのです。
この「索引」の話が具体的な構成、ストーリーから浮かび上がるものではなく、ミライちゃんによって「台詞として」差し込まれてしまっているのもよろしくない。
説明させたらあかんやろ!それを作品通じて観客に思い起こさせてこそ、物語やろ!っていう…
「ものがたり」がない、もしくはフォーマットが薄いのが難点だと思います。
日常性とファンタジー部分のかい離
階段状の不思議なデザイナーズハウスに中庭のクスノキ。それを「索引」として、色んなファンタジックな出来事が起こる。それが擬人化したゆっこや、未来のミライちゃんであり…なんですが、こう、そのどれも唐突で、どうもクライマックス近くまで「脈略がない」。仕掛けの仕組みがすんなり受け入れられない。
だから、観客はあれ?ゆっこ?イヌなのに?未来のミライちゃん?なんで?のように思いますし、日常性とファンタジックな描写がかい離して見えてしまうのです。
更に「日常」部分の描写に現実味がないのも、非常に気になりました…
そもそもくんちゃん、いくつ?2、3歳?にしてはしゃべりが達者すぎる(声優の声も浮いている)、あれ自転車乗れるの?(実は4歳)というのがあり、更に娘が乳飲み子を抱えて退院したばかりなのに母親がすぐ帰ってしまうのもあれれ?ですし、デザイナーズハウスは幼い子どもにはキケンがいっぱい。食べ物もフォトジェニックなパンケーキ(夜に)やケーキを家で食べていて、(実際作られているものではあるんですが…)
ゼリーのイエ (@gelatinedesign) | Twitter
なんだか「子育て」という超現実的な内容を扱っているのに、この作品には現実感がどこかない。
細田守作品あるあるかもですが、このくんちゃんの両親、一体二人でいくら稼いでいるんだ、みたいなツッコミも。「大きなところで嘘をついて、小さなところでは嘘つかない」のは、割と作品作りには欠かせない部分だと思います。そういうところに割と無頓着なのは、むしろ細田作品ならではの個性、なのでしょうか……過去作もそういう部分ありましたよね…
全体としては、このような印象でした。
ただただ出来事を並べられても、「ものがたり」にはならない訳でして。
演出や映像表現に「わーすごい!」と思っても、それだけで観客の満足度は得られない訳でして。
ここを見せたい!ここを描きたい!というような監督の情熱は感じます。
でもそれ「だけ」では2時間近くある作品として、もたない…
この作品、テーマはあると思います。ただ、「くんちゃんシークエンス」やら「ひなまつりシークエンス」やらが長過ぎたね…なんだか巨匠宮崎駿監督が途中でストーリーを放棄して場面作りに寄った作品作りをするようになったのと、似たような印象を受けました。
アニメーションですが、子どもにもあまりオススメは出来ないし、かといって大人もなあ…実際子どもいる人はどう思うのかなあ…という作品なので、細田守ファンとコアなアニメファン、映画ファンには辛うじてすすめられる、という感じでしょうか。
なんともモヤモヤしている感じですが、そんな作品です。
…少しすっきりしない内容ですが、今回はこれでおしまい。
以上ナギナリコがお届けしました。
家族という共同体の持つ哀しみ@新国立劇場 蓬莱竜太作 宮田慶子演出『消えてゆくなら朝』
新国立劇場で蓬莱竜太さんの新作舞台を観てきました。芸術監督の宮田慶子さんが今シーズンで退任となりますので、新国立劇場でこの二人の組み合わせもこれからはなかなかないのかな、と思います。
キャスト 鈴木浩介 山中崇 高野志穂 吉野実紗 梅沢昌代 高橋長英
家族と疎遠の作家である定男は、五年ぶりに帰省する。作家として成功をおさめている定男であったが、誰もその話に触れようとしない。むしろその話を避けている。家族は定男の仕事に良い印象を持っていないのだ。定男は切り出す。
「……今度の新作は、この家族をありのままに描いてみようと思うんだ」
家族とは、仕事とは、表現とは、人生とは、愛とは、幸福とは、親とは、子とは、様々な議論の火ぶたが切って落とされた。本音をぶつけあった先、その家族に何が起こるのか。何が残るのか。
宮田慶子さんの新国立劇場演劇部門芸術監督在任中、蓬莱竜太さんが関わった作品はいくつか上演されています。自身で作演出を務めたのが『エネミイ』『まほろば』で、わたしは個人的にどちらもとても好きな作品です。前者は今回出演されている梅沢昌代さんと高橋長英さんも出演されており、後者は岸田國士戯曲賞を受賞し、再演もされた作品。他にも…わたしは今の日本の劇作家の中で、蓬莱竜太さんにはかなりポジティブなイメージを持っていて、わたしの人生のベスト観劇体験に入る位、すきな作品もあります。その劇作に現れる「人間に対する目線の優しさ、温かみ」が好きでしたし、もちろん全てが全てそういう作品ばかりではないですけれど、とにかく好意的な印象を持っていたのですよね。
それが。
この作品で、描かれる定男(=作家の分身)を通して観ると…なんとも蓬莱竜太さんにネガティブな印象ばかりになってしまったのでした…
さて、これはどうしてか?
まずは作品の感想に移る前に、事前に参加したマンスリーについて軽く述べておこうと思います。
マンスリープロジェクトのトーク
新国立劇場では「マンスリープロジェクト」という、自主で作る作品にはちょっとしたトークイベントや勉強会、みたいな企画が行われるのですが、今回は演劇ジャーナリストの徳永京子さんとの対談企画でした。
とりあえず印象的だったことを箇条書きに:
・徳永さん曰く蓬莱竜太作品はウェルメイド期、低迷期、 復活期(ここ微妙に曖昧です)に分かれる
・蓬莱さんは初めから「うまかった」、すぐ商業演劇に引く手数多になったのも頷ける
・蓬莱作品は「タイミング」が上手い(徳永)→「観客の先入観」を意識的に利用し、それがひっくり返るのが劇的な瞬間(蓬莱)、エンタメはジェットコースターだけではなく「乗っていた乗り物が違う」もエンタメ、同じものが違う景色になるのもそう
・蓬莱さん曰く劇作には「衝動」が必要で、ストックが切れかかった今、書ける題材は「家族」についてのことだった
・今作は台詞のフィクション度を下げた
・面白いものと人間が作っている「えぐみ」両方ある方が面白い作品になる
・モダンスイマーズである事件があり(ここ一応伏せておきます)改めて自分たちの演劇と向き合い、チケット代や新たな劇団員募集等の試みを始めた
ものがたりの始まりと舞台全体について
わたしが演劇を頻繁に見るようになった時期と、蓬莱さんが新国をはじめ商業にも活動の幅を広げて行った時期は大体近く、以来モダンスイマーズも、それ以外も、色々観ましたが、やはり本来芸劇や新国の小劇位までのミニマムなキャパシティで、ある程度少人数の密な人間模様が描くのが合っている方だと思います。ただ、作品は結構見ているのですが、意外と蓬莱さん自身がどういう人間か…?みたいな印象はあまりありませんでした。広島出身で、それは芝居にたまに出てくるな、位。
今回の「消えていくなら朝」は、蓬莱さん自身の家族がテーマで、次男の定男は蓬莱さん自身なのですが…まあ先述の通り、この舞台を観た人間は皆んな定男=蓬莱竜太を嫌いになるのでは、という性格の人間です。
10代で上京、現在作家という特殊な職業で生計を立てている定男は、頭も切れますが、自尊心が強く、家族に対してどこか攻撃的な物言いが目立つ。そんな定男について、家族はあまり快く思っていないし、5年に渡り帰ってこなかったので少し疎遠な印象もある。定男が久しぶりに実家に、彼女を連れて帰ってくるところから物語が始まります。
舞台は基本的に奥にカウンターがある居間の一室なのですが、下手側に出入口があり、手前の空間は家の外。梁が4本、天井に吊られているのですが、それぞれ斜めに配置され、どこか不安定。背景には映像が映し出されるようになっています。兄弟それぞれのターン(話題)でその名前が背景に浮かび、後半山場では「崩壊」という字が浮かんでポロポロと崩れ落ちていく。家族の会話劇ですが、舞台美術や演出から受ける印象はどこか無機質で危うい感じでした。
登場人物の持つ哀しみ
定男の次に話題の中心になるのは会社員の長男、庄司。庄司は昔母親の信仰する宗教活動に熱心で、その縁で結婚もしたのですが、自身の浮気から離婚、破門されてしまいます。長男は頭は切れませんが(定男に馬鹿にされている雰囲気)、「兄弟の中では」「一番普通の人」なんですよね。どこか、ちょっと馬鹿っぽいけど、憎めない感じもある。
三兄弟の末っ子の佳奈は、ボーイッシュな見た目の40代で独身。趣味を楽しみその明るい振舞いから家族のムードメーカー的な印象ですが、彼女にも「ある秘密」があります。
更に、宗教活動に熱心な母親、増築が趣味の父親も、夜が更け話が進むうちにその「秘密」にしていたエピソードの数々が明らかになります…
このように順にそれぞれの「秘密」や「思い」が吐露され、それがまた喧噪や渦を生み…というの流れ。
観ていて、物語にしているとはいえ、こんな「ちょっとした」「でもそれぞれ割と強烈な」エピソードを持っている家族がいるのだろうか…?と思う位キャラクターが(一見普通なのに)「強い」。
特に定男は顕著で、これがまた絶妙に「うざい」、「いけ好かない」人間なんですよね。鈴木浩介さんが上手い、というのもありますが、長男を尊敬している、の件等いやいやオマエ絶対長男バカにしてるよね?みたいな。なんとなく落ちついていた(風に見える)家族に定男が帰ってくることで、色んな波風が立ち、感情が生まれていく、その生々しさ。
この物語の唯一の息抜き、良心は定男の彼女・レイ の件ですが(この彼女は創作かな…?)、その彼女にしても、実はクライマックス間際で明かされる秘密がある。(これはこれまでの蓬莱作品っぽい設定)
それぞれが、色んな寂しさ、やるせなさを抱え、相手にわかって欲しい、受け入れて欲しい思いを持っていても、結局は、ぶつかるだけで、うまい解決、対話の落とし所にはなっていかないんですよね。どんなに話たって分かり合えない。なんかぶつかって、お互い摩耗して、次の日がまた来る。
定男の言う「朝が来ると全部(前日までの諍いも)消えるのが気持ち悪い」(意訳)って話の通り、結局何も変わっていない。ラスト、定男にまたすべての問題が再び集まって、定男は「考える…考える…」と呆然と言い、そしてまた次の朝の光が差してくる。結末としては、そうするしかない、希望があるようでないような終わり方ですが、「すべて消えていく朝」がまた来る訳です。
個人的には今までの蓬莱作品で一番生々しく、痛い話でした。ご自身も言ってましたけど、よくこんな自傷行為のような話が書けるな、と。宗教や浮気、離婚の話は実話を元にしたのかもしれませんが、それにしても「身体張っている」。フィクション度がかなり低い。次男の定男は終始いけすかない奴でしたけれど、ただ、観ている途中、どこか定男に共感している自分がいました。わたしが性格悪いからかもしれませんが(苦笑)、ああ、自分もこんな風に家族を傷付けたし、家族の何気ない一言に傷付いて、それを何年も何十年も根に持ち生きてきたな、と。
…この芝居、別に誰かに共感性高い作りになっていないと思うのですが、なんだかどこか、共感してしまいました。こうして書いていくと、ひたすら辛く苦しそうな話ですが、会場では結構笑いもあり。わたしは上記から全く笑えませんでしたけど、家族の内輪話、本人が真剣に大切にしてることって、側から見たらどこか滑稽に見えるのかな。その必死さに、可笑しみを感じるのかもしれません。
長々と書きましたが、これまではいわゆる「ウェルメイド」路線な作家が出した作としては、かなり自身(と家族)を晒して書いているチャレンジングな一作でした。これからの蓬莱作品を見る目が変わってしまいそうですが、今後の劇作の試金石的な話になるのかも…しれませんね。
では、今回はこのあたりで。ナギナリコがお届けしました。
熱く、激しく、キャッチーな紅色ショー!!@宝塚星組『Killer Rouge(キラールージュ)』
予告通り「ANOTHER WORLD」と併演のショ―、「Killer Rouge」のレビューをお届けします。
お芝居の感想はこちら。
ショーの組子についての個人的な萌えポイントはこちら。
星組あの世/キラル(ANOTHER WORLD/Killer Rouge)で組子を愛でる。お次は「キラル編」。 - ナギ ナリコのENTREVUE BLOG
初舞台公演ということで久しぶりに遠征出来ました!
星組東京宝塚劇場公演が開幕!オススメ情報と104期生の初舞台公演をレポ。 - ナギ ナリコのENTREVUE BLOG
タカラヅカ・ワンダーステージ
『Killer Rouge(キラー ルージュ)』
作・演出/齋藤 吉正
“Killer”とは、「素晴らしい」や「格好良い」、「魅了する人」等を意味する英語のスラング(俗語)。“Rouge(紅色)”をテーマカラーに、星組トップスター・紅ゆずるのエンターテイナーとしての多彩な魅力に迫ると共に、宝塚歌劇ならではの華やかでゴージャスな世界をお届け致します。
なお、宝塚大劇場公演は第104期初舞台生のお披露目公演となります。
星組公演 『ANOTHER WORLD』『Killer Rouge(キラー ルージュ)』 | 宝塚歌劇公式ホームページ
今回は各場面について順に書いていきたいと思います。
幕開け、十碧れいあ、麻央侑希、紫藤りゅう、天華えま(紅彗星男S)がせり上がり、銀橋に紅彗星女S、綺咲愛里が登場してショーがはじまる…というキャッチーな幕開け。スターの登場から、星組子達の登場、七海ひろき、礼真琴、紅ゆずるがドラゴンを背景にせり上がり…というそれだけで最高にテンションが上がってしまう構成…!!
実は荒廃したディストピアに彗星が落ち、地上が炎に包まれ、伝説の超獣(紅竜)が蘇る…というダークファンタジー的な設定があり、吊りものや舞台美術、衣装等、台湾を公演を意識してか、縁起のいい「赤」=「紅色」で中華風の装飾、デザインが目立ちます。
総踊りの後の銀橋は専科より華形ひかるがベテラン男役から新進男役まで引き連れて。
その後「赤ずきんCHANG」(パンフにこう書いてある)をはじめ、狼、マッチ売りの少女、ピーターパン、ティンカーベル、魔女、野獣、王子、と「おとぎ話」の登場人物達が「パラパラ風」ダンスナンバーで踊る「Cutie Rouge」。
冴えないサラリーマンMonsieur Rouge(紅ゆずる)が特命捜査官に任命、怪盗「Mask of Rouge」(七海ひろき)の逮捕に繰り出す「Killer Rouge VS Mask of Rouge」、新進瀬央ゆりあのポストマンとラブレターを持った娘役たちとの爽やかな場面を挟み、中詰めへ…とこれまでの「ヨシマサショー」の定石を網羅しかなりスピーディかつキャッチーに、テンポ良く進みます。
おとぎ話やマスクオブルージュ等、芝居がかった場面での配役も、それぞれキャラクターにハマっていて良いと思いますし、下級生から上級生まで、顔や衣装で組子一人ひとりを識別出来る様な場面構成になっているのも、斎藤吉正ショーならではの細やかな目配り、心配りですよね。ショーで歌える人にソロやコーラスで歌わせ、踊れる人に踊らせ、ヴィジュアル特化ならそれで見せる。専科や幹部クラス、路線スターの扱い等も的確でしたし、これはタカラヅカでは本来普通に求められることですけれども、ここまで細やかに場面をあてて作れるショー作家なかなかいないのでは、思います。
幕開け、中詰め、群舞等のアニメソングやJ-POPを中心とした選曲、「オタク趣味」(ポジティブな意味)と名高い?ヨシマサ先生だけあってなかなかマニアック(ディスガイア等)なタイトルのものもありましたが、それはそれでダークファンタジー的な世界観にあっていたので良かったのでは、と思います。というか単純にタノシイ。
アニソンは基本キャッチーですからね~!「ベルサイユのばら」アニメ版の主題歌を使う、というのもこれまで意外とない発想ですよね。難点を言えば、やはりポップスを歌わせると座付き作曲家の曲に較べ、タカラジェンヌの音域だったりテクニックの守備範囲外…みたいなるので=歌う難易度が格段にアップ!なところ。星組は二番手礼真琴さん以外スター格にあまり歌手がおらず、今回特出のみつるさんも歌い手ではない…のでそういう意味では若干ツライ部分はあったと思います。
加えて、かなり動かし、踊らせているショーだと思います。
幕開けのスターの舞台上での移動、特に七海ひろきさん「そんなに走らせる…?」という感じでしたし、中詰め銀橋渡りのあーちゃん(綺咲愛里)は輪っかのドレスなんですが、「それで踊らせる…?」という振りもあり、幕開けから群舞までダンサブルな場面が本当に多い。さぞかし組子は大変だったのでは、とお察ししますが、観客としてはそのスピード感と爽快感、舞台から受ける熱量がただただ熱く、激しく、楽しいのです。
ダンスで特に印象的だったのは「TANGO ROUGE」で、洋館の美しきマダムに万里柚美さん、礼真琴さんと音波みのりさんが幻想の中タンゴ名曲を踊る…という場面。技術が高い二人ならではの美しく、見応えのある場面になっていました。
「Pegas Rouge」がペガサスをモチーフにした定番の総踊り場面で、これまでのショーと同じく退団者の餞的な場面が差し込まれているのですが、今回も爽やかで愛に溢れたものになっていましたね。
ポコちゃん(十碧れいや)も決して歌の得意なスターではないですけれど、やはりこのクラスのスターさんは下手だろうが上手かろうが一曲歌わせて銀橋渡らせて…というのが相応しいだろう、と思うのです。白鳥ゆりやさんも、これまで本公演ではそこまでピックされることがなかった生徒さんのように思います。が、中堅どころになるまでずっと星組娘役として頑張ってくれていたのだから、同期や十碧さんと踊らせたり、紅さんとまで…というのは演出家のはからいとして素晴らしく、愛を感じて…素敵、これでこそタカラヅカ…!と個人的には思ったのでした。
初舞台生公演のラインダンス、かつての紅さんと同じく、トップスター自らの紹介ではじまる「SAKURA ROUGE」では、歴代の桜にまつわる名曲(古典的さくら、いきものがかり、ケツメイシ、河口恭吾のそれ等)を盛り込み、色んな子が一列目になれる転換にしているのも良い。
西條秀樹さんの「情熱の嵐」、及川光博さんの「紅のマスカレード」等、アツイ選曲で最後まで男役も娘役もオラオラギラギラしているのがとっても星組っぽくて、組ファンとしてはツボでした。
わたしは一応星組ファンを名乗っている人間なので、果たして組ファンではない方が今回のショーを見てどうなんだろう…?(特に星組の歌に不安を覚えてないだろうか…?)というのはあります。でも今回のショーで星組の下級生や別格スターを覚えられた人、ってわたしもですが、多いのでは?と思いますし、
全体的には色んな点で力を入れて作られた、キャッチーで熱く、激しく、楽しいショーでした!
台湾では専科のみつるさん、バウ組のせおっちがの場面、総踊りや群舞あたりの曲や人員が変わるのが予想されます。台湾のお客様に有名な曲が何か入るのかな。
梅芸と青年館での台湾Ver.も上演も楽しみですね!
昨日7/26が集合日で、芝居のサンファン(Thunderbolt Fantasy東離劍遊紀)のキャストの発表がありました!!
個人的に贔屓組なのにチケットが手、手に入らない…台湾にも行く予定だったのにダメに…という苦境に立たされているので、なかなか辛いのですが(苦笑)、んー、出来ることはやって、が、頑張ります…!
なんだか感想文みたいな〆になってしまいましたが、本日はこんなところで。
あ、ちまちまみているTOKYO MXで再放送しているサンファンのアニメ、オモシロイです~!
七海ひろきさんが殤不患(ショウフカン)CV諏訪部 順一、天寿光希さんが蔑天骸(ベツテンガイ)CV関 智一ってのがわくわく。(七海さんベツテンガイもあり得るかも、と思っていた)衣装や鬘もお衣裳部さんとジェンヌ自ら頑張って、きっと宝塚らしい素晴らしい再現度で見せてくれることでしょう…!と期待値をあげて。台湾のお客様にも喜んでもらえる二本立てになるのではないでしょうか。
ではでは、ナギナリコがお届けしました!あー台湾いきたいな~…!!