ENTREVUE BLOG

「ナギ」ですが時にはあらぶり「エンタメ」「すきなこと」について書く。演劇・宝塚・映画・本、アート・旅行等娯楽、趣味の話とたまにの真面目コラム。

パーソナリティは生涯大切にするべきだけど、キャラクターはいくら変わったっていい。

こんにちは。常日頃、いやたまーに、お知らせしているのですが、noteでもたまに文章を書いています。

note.mu

こちらが本家であちらは分家みたいな感じ。ブログ書いてる隙間に息抜き的にちまちま書いてます。たまにあちらしかアップしていない記事も。

本日は久しぶりにあちらの記事をこちらに持ってきました。

ではでは…

 

最近読んでいた本で見つけた、こんなフレーズがわたしの何かのスイッチを押しました。
「人間にはパーソナリティとキャラクターがある」

「パーソナリティは変わらないが、キャラクターは(接する人によって)変わる」(意訳)
読んで、ふおお、と何だか腑に落ちまして。いや、まあ至極当たり前のこと言ってるんですよ。
でも、そうか、パーソナリティは変えられない……つまり変わらなくてもいいんでは、キャラクターは変わる、ならキャラクターはどんどん変えても良いんじゃない?!と、はたと思ったんです。

いきなりですけど、いわゆる「ぶりっ子」ってどう思いますか?人に媚び売る人、どう思いますか?嫌ですよね。てか、ぶっちゃけ嫌いだし、嫌われますよね、そういう人間。女の子間でね。

でもね。

それ、意外と理にかなってません?
ぶりっ子って例えば女子が好きな男の子に傍から(女側)見たら過剰に甘えたりアピールすることですよね?女オンナすることですよね。
人によって態度変えて地位の高い人間に媚びへつらう人、超嫌ですよね。うざいですよね。
でもただ相手とその場によってキャラクターを変えている、と考えたらどうでしょうか。
もっと言うと、相手やその場に相応しい行動、言動をとっている、と考えたら?

他者に媚びへつらう、って、周囲からは白い目に見られがちですけど、でも我々皆んないつ何時でも誰とでもフラットな関係でいられる訳ないですよね?
むしろ、場や相手に相応しい、相手を利する、また自分に利する行動をする、って極極自然なんじゃないかなあ、と思うんです。

ぶりっ子は極端かもしれませんが、そういう態度をぶりっ子がするのはそれがメリットがあるからです。ぶりっ子ちゃんモテるし。
また、「手もみ媚びへつらいヨイショさん」(今勝手に思い付いた)がいるのもそうした方が得だから。

ぶりっ子や手もみ媚びへつらいヨイショさん(長い)ほどではないにしても、毎日過ごしていれば、本当一人の人間が色んなキャラクターを抱えて日々生きているんだな、と感じるんですよ。

で。
我々人間、とっても不思議なことに一貫性がない、法則性がない事柄を理解するのって、結構苦手じゃないですか?

現実では一人の人間が色んな面を持っている、実は結構一貫性のない存在なのは至極当然なことなのに、「あいつは人によってキャラ変えてる!おかしい!」みたいな。

SNSだと「前と言ってることが違う!」みたいなのよくありますよね。

いやいや何年前の発言についてだよ、みたいな。

極悪犯罪者が愛妻家だったら信じられない!ですとかね。

 

確かに人によってキャラを変えることは、あまりに二枚舌が過ぎたりすると傍目に信頼を失うので、そこには注意が必要ですが…。あと、やっぱり政治的なトピックですとか、思想的なところはあまりコロコロ変えると、うん?この人ナニモノ?信頼出来る?とはなると思いますよ。でもそれだって変っていきますよね、いつも同じ生活、人生歩んでいる訳じゃないから。卒業、就職、結婚、出産、身内の不幸みたいな大きなライフイベントではなくとも、小さなライフイベントはいくらでも転がっている。だからそれに応じて、そこで会う人に応じて、人間ってそもそも変わるもんなんだ、って思うんです。

なので、ヒトはもっともっとキャラ変したっていいんじゃない?って思うんですよ。
例えば大学デビュー?どんとこい、だし、顔立ちがブサイクと言われようが「わたし美人〜!」みたいに振舞って良し、好きな人の前では可愛くする、気に入られたい人間には徹底的気に入られるように振る舞っていいじゃないか!
メイクや服や髪型だって、もっと色々変えていいはず。
人見知りだからって明るく振る舞っていけないわけではないし、オタクや病みキャラがいつも暗い人間とも限らない。自由に生きるの。(それなんて…エリ…略)

一方で。

「パーソナリティ」は大切にするべきでしょう。
何故かって?当然ですよね、それがおのがアイデンティティだから。
わたしは女で異性愛者でおたく気質、まあフェミニスト、政治思想はどっちかっていうと左寄りですが、それは、ほぼほぼ未来永劫変わらないだろうパーソナリティなんですよ!

「自分らしく生きる」「自分のすきなことをやる」。

巷でよく言われるこれらは、例えばすきなことの方が成果を上げやすかったり、あと本当本来は自分がそう生きているのが楽だから、というのがあると思うんですよね。
パーソナリティは、人にどうこう言われようが変わらない、変えられない部分。

アイデンティティ

切実さを持ってじぶんが生涯抱えている部分。
だからそれをちゃんと大切にして生きた方がいい。

でも一方で。

繰り返しますが、表面上のキャラクターはどんなに変えたっていいのではないでしょうか。処世術として、ででもだし、そもそもパーソナリティのようには自覚出来ない部分で、有為転変、日常で変化して行く部分。小っちゃい頃好きだったこと、ものが意外と好きでなくなったり…みたいなのはフツーにありますよね。そういう意味ではプロスポーツ選手や芸事の世界に生きる人は大体が年若いときから覚悟して一環しているんだからすごいなあ、と。(完全に余談ですが。)

髪型やメイク、ファッションは「変えていいキャラクター」の最たるもの。もちろんアイデンティティに発展することもありますが……

しかしいわゆる「性格的なこと」も、三つ子の魂百まで、からもう少し広くスタンスをとってみると、人生よりよく生きれるんじゃないか~?と思うのです。

ね、パーソナリティは大事にして、キャラクターはもっと柔軟に生き(行き)ましょう!

結論でした。
陳腐にまとめちゃったかな。でもそう思うのです。

ナギナリコがお届けしました。