ENTREVUE BLOG

「ナギ」ですが時にはあらぶり「エンタメ」「すきなこと」について書く。演劇・宝塚・映画・本、アート・旅行等娯楽、趣味の話とたまにの真面目コラム。

ほっこりあったかい、でも一筋縄で落ちない井上ひさし作品@新国立劇場 小劇場 栗山民也演出『夢の裂け目』 

閉幕してだいぶ時間が経ってしまいましたが、新国立劇場『夢の裂け目』をレビューしたいと思います、ナギナリコです。

素晴らしく、心に残る、また必ず再演を望みたい一作でした。

 

昭和21年6月から7月にかけて、奇跡的に焼け残った街、東京・根津の紙芝居屋の親方、天声こと田中留吉に起こった滑稽で恐ろしい出来事。ある日突然GHQから東京裁判検察側の証人として主って気を命じられた天声は、民間検事局勤務の川口ミドリから口述書をとられ震えあがる。家中の者を総動員して「極東国際軍事法廷証人心得」を脚本代わりに予行演習が始まる。そのうち熱が入り、家の中が天声や周囲の人間の<国民としての戦争犯罪を裁く家庭法廷>といった様相を呈し始める。そして出廷の日。東条英機らの前で大過なく証言をすませた天声は、東京裁判の持つ構造に重大なカラクリがありことを発見するのだが…

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夢の裂け目 | 新国立劇場 演劇

 

舞台設定とものがたり

舞台上、ステージを囲むように近代建築の白い石造りのプロセニアムアーチが。

オケピがギリギリ観客に頭部が見える位の深さで埋まっており、4人の演奏者がこの時代の衣装を着て演奏しています。

中心に民家の和室の一室があり、中央には電球がぶら下がり、招き猫や座布団等が置かれています。

照明が電球にともり、静寂からテンポの良い曲が流れ舞台が始まります。

主人公の天声こと田中留吉は根津で紙芝居屋「民主天声会」を営んでおり、娘、義理の父、妹と同居している。そこに妹君子の芸者仲間の妙子、元映写技師の佐藤、復員兵の三郎等が加わります。元々は講釈師であった天声は活動弁士としても大人気。義父が絵を描き、天声が喋りで見せる紙芝居、中でも「満月狸ばやし」は大好評の一作でした。「満月狸ばやし」は戦に負けた殿様狸の罪を家老狸がかぶるお涙頂戴話。果たして時は敗戦の年、検察側の証人として天声に召喚状が届きます。そこで天声は民間検事局勤務の川口ミドリと出会います。

物語が大きく動き出すのは、軍部での紙芝居が好評を得、この過程で天声一家が軍部と商売しようという狙いが姿を現し「庶民の戦争責任」という問題が浮かび上がり始める前半クライマックス部分。

この後調子に乗った天声、大学等での講演にひっぱりだこになりますが、そこで「満月狸ばやし」の構造、殿様狸=天皇、家老=東条英機という共通点に気づき、それを広めてしまいます。軍部に捕まった天声は拘留されます。

占領が終わるまで「満月狸ばやし」を演らないという誓約とともに天声は釈放。国民は天皇と東条に踊らされていただけなのか、むしろ「天皇万歳」「大東亜共栄圏」と自ら踊っていた者もいたのではないかと、再び「庶民の戦争責任」についての問題が姿を現し、幕が下ります。

 

物語構造について

…文字にして表してしまうと、さっくりと、わかるような、掴めないような作品だと思います。

あらすじとしては上記ですが、ここにテンポが良い楽曲、歌や踊り等が入り、舞台から受ける雰囲気は終始「喜劇」ほっこりあったかい。ただ、しっかりと社会風刺、当時の日本の戦争責任について、現代の客席に向け、井上ひさしが問いかけている内容があり、そこの皮肉が効いている。そして、この芝居はステージを囲うプロセニアムアーチ、クライマックスの「夢の裂け目」という歌、カーテンコールの「(役名)は実は、〇〇さんです!」の挨拶からもわかるように「メタ」的な演出、脚本になっている。そこが「重喜劇」とされるゆえんかな、と。

現代に生きる我々が、物見遊山的に見に来ていても、舞台の随所に、井上ひさしと栗山民也の巧みな「しかけ」を感じ、戦争責任に対する強いメッセージ性を感じずにはいられないのです。

極「自然で」「楽しい」舞台なのに、いつのまにか浮かび上がる「深い今日的なメッセージ」。この舞台の「名作」と誉れ高い評価もうなずけました。

演者について

段田安則さんをはじめ、演者はみなさん巧みな役者さんばかり。段田さんの終始愛嬌と味のある語り口も素敵でしたし、唯月ふうかさんの演じる娘道子の軽やかで初々しい歌声も魅力的でした。私の大好きな俳優さん、木場勝巳さん。途中まで、正直役不足だなと思っていました。けれど、クライマックス付近の台詞。「でもでもでも…人生はそんなことばかり、(こう)ありたいと(こう)あるの繰り返しの毎日」意訳)というしみじみと清風先生が心に沁みることを言うのです。この台詞、一見すると唐突なので、木場さんだからこそ言えた台詞だな、と個人的には思いました。保坂知寿さんは贅沢な、というか意外な使われ方のシスター役でしたね。綺麗な讃美歌の声が聴けました。他、高田聖子さん、吉沢梨絵さん、上山竜治さん、玉置玲央さん、佐藤誓さん。皆さんそれぞれ味わい深く、面白みのあるキャラクターでした。

井上ひさしの戯曲の巧さ

わたしは井上ひさしさんの戯曲をそんな読んでいるわけではなく、作品も沢山観ているわけではありません。思いつくのは、「ムサシ」「日本人のへそ」「父と暮らせば」「キネマの天地」「天保一二年のシェイクスピア」あたりでしょうか。

ムサシ

この程度で井上ひさし作品について総括するのも我ながら浅はかだな…と思いますが、

メタ的な物語構造にするのが井上ひさし

言葉にとことんこだわるのが井上ひさし

ユーモラスなのが井上ひさし

物語をドラスティックに動かすのが井上ひさし

おのが主張を確実に入れ込むのが井上ひさし

 

なんだと思います。(あげすぎですかね…)

ただ、これまで観てきた井上ひさし作品でもそうでしたし、今回も上記のことに当てはまるな、と。

『夢の裂け目』の隅々まで行き届いた巧みな構成。井上ひさしさんの才能に敬服致します。それだけ、この作品は素晴らしかった。

非常にユーモラスな喜劇でありながら、何枚も剥いでいくと、根底には痛烈な社会風刺の顔が覗く。激しい主張を激しいテンションで伝えることは、ともすれば直接的なので一番簡単です。でもこんな、パッケージはあくまで明るく楽しく、朗らかな作品でありながら、中身に幾重にも重なる視点を織り込み、実は、厳しい批判精神が根底に流れている作品に仕上げることはなんて難しいことなのでしょうか。

通して観ると、メッセージが心の中にしみじみと浮かび上がる。

非常にお芝居ならではの魅力を持った作品だと思います。

かつて井上ひさしさんの『キネマの天地』をはじめて観たとき、舞台に出ている方々、関わっている方々すべてに心から感謝したくなるような素晴らしい内容だったことを思い出します。今回も、そんな素敵で学び深い公演でした。

蜷川幸雄さん亡き今、井上ひさし作品のこれからの上演の中心にいるのは栗山民也さんなんだと思います。これからも、この『夢の裂け目』を含む東京裁判三部作の上演、他の井上作品の再演を強く望みます。

あまり観劇していない人にはわかりにくい、まとまりのない内容になってしまいましたが、今回はこのあたりで。

 

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