蒼井優のしたたかな名演技。彼女が知らないのは…?@『彼女がその名を知らない鳥たち』
今日は少し前、というか大分前、年明けに見た映画のレビューをします。
蒼井優さんの演技が興味深い、ちょっとしたラブミステリー映画です。
まあ、一言で言うと正月に観る映画じゃねぇ…(白目)ですが。
嫌な女・十和子、下劣な男・陣治、ゲスな男・水島、クズすぎる男・黒崎。
“共感度0%”の最低の登場人物しか出てこないのに、ページをめくる手が止まらないと話題を呼び、20万部を超えるベストセラーとなっている人気ミステリー小説が、ついに映画化された。
十和子への過剰な愛ゆえに陣治は黒崎を殺したのか。異常な献身と束縛の先には、水島に手をかけ、十和子を追いつめる不吉な未来が待っているのか、それとも――。
肌にまとわりつくような不穏で不快な空気を漂わせながらも、物語はあまりにも美しい“究極の愛”へとアクロバティックに着地していく。誰も裁くことができない予想を超えたラストを見届けたとき、観る者の胸に驚きと感動が広がる、まぎれもない愛の物語が誕生した。
映画「彼女がその名を知らない鳥たち」公式サイト|4.25(水)Blu-ray&DVD Release
で、いきなりですみませんが、あまりも疲れて、眠くて作品の前半の見せ場の記憶が曖昧です…どうやって始まって盛り上がっていくか?あまりお伝え出来ずにすみません。
で、とにかく凄いのは蒼井優演じる十和子が松坂桃李演じる水島(時計販売員)にクレームつけるところです。クレーム付けながら、誘うんですが、その演技がもう…とっても蒼井優…!って感じでした。わたしは彼女は子役からやってるだけあって、おそらく元の頭も凄く良い方だと思うんですが、とてもしたたかな、計算高い演技をする方だと思うんですね。その巧みさが嫌な方、鼻に付く方もいると思います。あと週刊誌の下品な恋愛ゴシップのイメージがあって、どこか「魔性の女」的なイメージもあると思います。そういう彼女自身の元来の賢さ、スキル、リアルさ、イメージにこの役はとても合ってました。元から可愛らしい声を更に甘ったるくつくって、「あ〜こういう女いるわ…」って思うような女性像になってます。
また、この作品は男性陣をとても贅沢に使っています。竹野内豊と松坂桃李の二大クズ男が見れますし、なんだか冴えない同棲相手を阿部サダヲ、中嶋しゅうさんが只者ではない老齢の男国枝を怪演。
ラブシーンがそれなりにある、R15指定の映画ですが、自然でリアルでドキドキしてしまいました。感想巡りをすると、この作品で蒼井優さんがヌードにならないのはおかしい、ってのをいくつか(男性陣から)見たんですが、そうかなあ…?別にバストトップなんて見せなくていいやろ、と思います。彼女クラスの女優になると、「ヌードを晒す」=「ネットにその画像をばら撒かれる」です。
わたしが女だからかもしれませんが、そんなことしなくてもこの作品のセクシャルなシーンは十分効果的なものになっているし、それでいいわ、と思いました。
脱いだら女優として一人前、とか男性的な時代錯誤な思想だと思います。前たまたまネットで、「演技が上手い女優ランキング」を見て、ある評論家(男性)がコメントで蒼井優世代の女優にひたすら脱げ脱げヌードヌードして脱皮を、と添えていました。
評論家のくせに、そんなことしか言えないの?と、しらけましたけどね。
話がズレましたが、とにかくこの映画は「蒼井優のヌード」なんてなくても、面白い映画になっていると思いましたよ。松坂桃李くん、今度三浦さんの「娼年」という過激な内容(が予想される)映画に出ますね。いま、ご本人も何かこう、伸び悩んでる感があると思うので、クズ男芸を磨いて頑張って欲しいです!
阿部サダヲは…抜群に冴えず、抜群に気持ち悪く、怪しい男でしたね、じんじ。
原作の沼田まほかるさんは湊かなえさんと比較されるような「イヤミス」の方らしいですね。原作は未読ですが、十和子が本当はなんとなく気づいている違和感を、ラスト近くで伏線としてどんどん回収していく様が上手いな、と思いました。ミステリーとしては、もしかしたら予想できる方もいるかもしれませんが、ちゃんと面白く「意外な結末」を見ることができました。
また水島からプレゼントされた時計のくだりや、じんじを「物盗みそうな名前だな」等、ちょっとしたユーモアラスな場面があるのもいいですね。
演出も良かったです。蒼井優と松坂桃李のベッドシーン後からの砂の演出、竹之内豊の存在の扱い方、阿部サダヲの気持ち悪さ、不気味さ、でもどことなく感じる人柄の優しさ。ラストシーンの回想を入れるタイミングもいい。
最後に、ですが「この女バカだな」(って下に見るの)はある種の娯楽だと思いました。人間基本愚かなものですが、どこかでもっと愚かな人間を見てちょっと安心したいんでしょうね。鑑賞帰りにあちこちで「蒼井優バカだよね〜!」って声が聞こえてきたので。じぶんでも、心の隅にそういう面あるな、と。
「しっくりきた日常」。日本人のふつうの戦争体験@『この世界の片隅に』
先日、片渕須直監督の「この世界の片隅に」を滑り込みで観てきました!
これが公開された年は邦画が盛況で、『シンゴジラ』『君の名は。』『この世界の片隅に』3本が特に評判が良かったように思います。
しかしそのどれもわたしは公開当時観ずにすごしました、ナギナリコです、人生の損失です。
今、初めての鑑賞を終えて、思うのはすごく「しっくりきた」映画でした。
いわゆる日本の創作における「戦争もの」、といえば、名作漫画『はだしのゲン』映画『火垂るの墓』をはじめ、戦争の恐ろしさ、怖さ、やるせなさ、辛さにリアルに迫った作品が多いように思います。
この作品、『この世界の片隅に』はとても「ふつう」なんです。
「ふつうの日常」の延長線上に、「あの」戦争がある。
見初められて呉に嫁に行き、夫は海軍で働き、小姑にいびられ、物資が足りなくて配給に通い、それでも足りなければ闇市に買い物に行き、見知らない女性に帰り道を教えてもらい、戦争が激しくなって空襲にあい、時には防空壕に隠れ、近しい身内を亡くし、自分もけがをする。そして終戦記念日の玉音放送で戦争が終わったことを知る………
これ、ぜんぶあの当時「ふつう」だったことです。
それをのんさん演じる、どこか浮世離れしたファンタジックなすずさんという女性を通して描く。その繊細さ。本来ならおそろしいシーンをおそろしく描かず、哀しくてやるせないシーンをあからさまに激しい描写で描かない。
手書きの絵やイラストを演出に巧みに取り入れ、残酷さをあまり見せない。
一方で食事や性など、あの時代の日常性も描いている。
すずさんと周作さんのやりとりは、あの時代のことを考えると、やや誇張かな、と思えることもありました。でも、それでいい。
そしてクライマックス近くで、あの穏やかな、のほほんとしていたすずさんが声を張り上げるわけです。怒りをあらわにして、さけぶ。
その静かな、強い、かなしさ、怒り。
戦争とはそういうものなのだろう、と思います。
小学生の頃、祖父母に戦争での体験を聞きに行く授業がありました。
色々な映画や、本や、もちろん演劇も観ました。
でもこんなにも「ふつう」に、戦争を描いた創作ってあっただろうか。
わたしは少し前からずっと思っていた疑問に、日本人の思想の根底にあるものってなんだろう?創作の底に流れる思想ってなんだろう?というのがあります。
海外の芝居を観ていると、それが宗教や哲学だったりするわけです。でも日本人は宗教には疎い。彼らがキリスト教やユダヤ教やイスラム教の教えを大切にしているようには仏教や神道や儒教を大切にしてはいない。
けれど、宗教にはうといけれど、日本人の創作の根底には「戦争体験」「反戦思想」があると思っています。故作家、井上ひさしさんは色んな戯曲を発表されました。
『この世界の片隅に』はこれまでのどの作品より、その問いに応えてくれた作品でした。
いつか、わたしがおばあちゃんになるころには戦争体験者は日本からいなくなっているはず。
そしてこの映画も「古典的名作アニメ映画」になるはずです。
その時に、孫か、子どもか、はたまた全然知らない外国の方にかもしれないけれど、戦争のことをつたえられるじぶんでありたい───そんな思いを「この世界の片隅に」は強くしてくれました。
とてもとても「しっくりきた」映画です。
人生は悲喜劇、高橋一生のそぎ落とされたシンプルな芝居@『blank13』
大ファンの高橋一生さんの舞台挨拶回を鑑賞してきました!なかなかの人気回だったようで。「高橋一生」運が向いてるわ!最近!と思ってる単純なナギナリコです。
ではあらすじと、予告編からはじめます~。
音信不通だった父の死───。
13年間の空白は埋まるのか?実話をもとに描く、ある家族の物語。
ギャンブルに溺れ、借金を残して蒸発し、13年間音信不通だった父が余命3か月で見つかった。母と兄は見舞いを拒否したが、コウジは子供の頃キャッチボールをしてくれた優しい父を思い、入院先を訪ねる。しかし金を工面している父の姿に失望し、家族の溝は埋まらないまま、父はこの世を去った。葬式に参列するのは数少ない友人たち。彼らが語る父のエピソードによってコウジは家族の誰も知らなかった父の真実を知り、13年間の空白が少しずつ埋まっていく……。
松田コウジ・・・高橋一生
西田サオリ・・・松岡茉優
松田ヨシユキ・・・斎藤工
松田洋子・・・神野三鈴
岡宗太郎・・・佐藤二朗
松田雅人・・・リリー・フランキー
他
非常にシンプルで静かな映画だな、と鑑賞後思いました。
あらすじがほぼすべて、それ以上に描かれていることは少ないです。
お葬式、というのは人生のドラマがつまっていますね。この作品はさりげなく松田雅人のこじんまりした葬儀と同性の松田さんの豪華な葬儀が対比されています。それがラスト付近に効いてくる。ここに出てくる家族というのもどこにでもいそう・ありそうな話で、それ以上でもそれ以下でもありません。
ただ、その単純な構成のなか、物語を紡ぐ脚本、役者のちから、監督のセンス、みたいなものを感じました。
若干演出やロゴがおしゃれすぎるような気がしましたが、斎藤工がこれがやりたかったんですよね。泥臭くではなく。
なんといってもコウジ役高橋一生がうまい!高橋一生史上いちばん口数が少ない役なのではないでしょうか。その少ない台詞でも心情を伝える、表情、内側に込めている感情の芝居。そぎ落とされた、シンプルな(でも複雑な)芝居。
その巧さ、恐れ入りました。
斎藤工のヨシユキは意外とやりどころのない役だと思いましたが、監督ですしね。
佐藤二朗の怪演っぷりとリリー・フランキーのダメダメ憎めない親父っぷりも見事。
神野三鈴の母親役も良いですね。こういう薄幸系の女性の役が似合う。
そして葬式で故人をしのび、それぞれの弔問客が語りだす場面。
とても演劇的で、舞台映えしそうな名シーンでした。ひとりの人生に、こんな人がこんな風に色々と関わっていくんだなあ。人生は、尊い。
ぐっと集中して観たので、舞台挨拶はあまり覚えていないのですが…苦笑、
原作者の奥様が司会をされていました。(お綺麗な方!)
登段者は高橋一生さん、サプライズで斎藤工さん、チンピラ借金取り浪岡一喜さん。
斎藤工さんと高橋一生さんは服装が似ていて、ネイビー中心のセットアップやらコートだったように思います。
記事に出来ない発言としては斎藤工さんの「残〇」発言ですね、下ネタおすきなんですか?笑
高橋一生さんは各所で言われていることですが、天才!だと。一生さんも斎藤工さんの表現したいものに自然に寄り添ってお芝居できたそうです。約2週間で撮り、編集に半年かかったとか。お互いを役者、監督として信頼している様子が伝わってきました。
エンタメ作品も楽しいですが、こんな作品もたまには観てみると心が穏やかさを取り戻してくれるのではないでしょうか。上演時間は70分でした。
映画のパンフレットがおしゃれ!
ふたりのインタビューが載っています。
これぞエンタメ!@『グレイテイスト・ショーマン』
とっても楽しいエンタメミュージカル作品を鑑賞して来ました!
うきうきハッピーなナギナリコです。
ではいつものように、あらすじや番宣からご紹介します。
19世紀半ばのアメリカ。幼なじみの妻チャリティを幸せにすることを願い、挑戦と失敗を繰り返してきたP.T.バーナムは、オンリーワンの個性を持つ人々を集めたショーをヒットさせ、成功をつかむ。しかしバーナムの型破りなショーには根強い反対派もいた。裕福になっても社会に認めてもらえない状況に頭を悩ませるバーナムだったが、若き相棒フィリップの協力により、イギリスのヴィクトリア女王に謁見するチャンスを手にする。
P.T.バーナム・・・ヒュー・ジャックマン
フィリップ・カーライル・・・ザック・エフロン
チャリティ・バーナム・・・ミシェル・ウィリアムズ
ジェニー・リンドソン・・・レベッカ・ファーガソン
映画『グレイテスト・ショーマン』“Come Alive” Liveパフォーマンス
ララランドと同じスタッフだそうですね。わたしはララランドを観ていないので(おいおい)その比較としては何とも言えませんが、最高に楽しいエンタメミュージカルで大変良く出来ていました。場面転換やショーアップがすごい・すばらしい!コンパクトに70分位で観られるのも、妻とのエピソードなどはわりとざっくり描いて勢いよく飽きさせずまとめたのも良いです。ヒュー・ジャックマンもカッコいい!んですが、若きパートナー、ザック・エフロンが超カッコいい!ちょっと甘めのお顔立ちでガタイが良くてなかなかの美丈夫ぶりです。「よろしくパートナーです」って挨拶するふたりが酒場で歌うナンバーはストンプみたいで小道具の使い方、盛り上げ方も見事!ブランコ乗りのアン、ゼンデイヤもキュートな顔立ちで個人的に印象に残ったキャスト。相当転換は練られていますね、ハリウッドのお金のかけ方、しゅごい。その巧さ、尊い。映画好きな人も、あまり映画館に行かない人も楽しめるエンタメ作品、っていうのはなかなかないものです。この作品はそんな作品でした。
以下、台詞、歌詞などネタバレ。
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「人類の祝祭」「心に掲げる賛歌のように」
という歌詞が出てきます。
そう、この作品は今の時代性にとっても合った作品。
とっても「ユーニーク」な人達のショー、「サーカス(バカ騒ぎ)」。
人類への大きな包容力みたいなものが作品全体に溢れている、そんな素敵な作品でした。全人類への賛歌って、聞いてみたいでしょ?
やさしくあったかいユーモアに包まれた作品@『マイマイ新子と千年の魔法』
毎日せちがらい世の中ですが、それでも素晴らしい映画や文化が日々に生まれるものです。 この作品の完成は2008年。、くすっと笑えて、うきうきして、ほろりとくる、お子様連れにもかって子どもだったわたし達におすすめな映画を鑑賞して来ました。子こんにちは、ナギナリコです。
では、番宣動画やあらすじからのご紹介です。
想像の翼をぐんぐん広げ、千年前の町の姿やそこに生きる幼い姫まで思い描く。
そんな少女・新子が、転校生・貴伊子や仲間とともに過ごす、楽しくも切ない季節。
ゆったりとした自然に囲まれた山口県防府市・国衙。
平安の昔、この地は「周防の国」と呼ばれ、国衙遺跡や当時の地名をいまもとどめている。
この物語の主人公は、この町の旧家に住み、毎日を明るく楽しく過ごす小学3年生の少女・新子だ。
おでこにマイマイ(つむじ)を持つ彼女は、おじいちゃんから聞かされた千年前のこの町の姿や、そこに生きた人々の様子に、いつも想いを馳せている。
彼女は“想う力(ちから)”を存分に羽ばたかせ、さまざまな空想に胸をふくらます女の子であり、
だからこそ平安時代の小さなお姫様のやんちゃな生活までも、まるで目の前の光景のようにいきいきと思い起こすことができるのだ。
そんなある日、東京から転校生・貴伊子がやってきた。
『この世界の片隅に』の片渕須直監督の2作目、『マイマイ新子と千年の魔法』が立川シネマシティで期間限定で上映されています。
この度、監督の舞台挨拶付きの回に行ってきました!ちなみに初見です。
よ か っ た ………!!(ほほえみ)
子どもの観た世界、8歳の新子の小さな冒険や仲間たちとの交流、そして1000年前の少女諾子(なぎこ)との交流、奇跡(といっていいのかな)を描いています。
大人にも、そしてもちろんお子様にも自信をもっておすすめ!と言える、
あったかくて楽しくて、ユーモアにあふれ、ちょっとほろりとくる素敵な映画でした。
青い麦畑が大変視覚的に美しく、もともとフィルムだったそうなんですが、今回DCPでの上映が可能になったそうです。元々は8年前の映画だそうで。
今回立川シネマシティでは「アリーテ姫」「マイマイ新子と千年の魔法」「この世界の片隅に」を連続で期間限定上映、片渕監督の全3作品上映!しかも舞台挨拶ついてくる回もある!ぜんぶ続けて見直したくなりますね。
せっかくなので、舞台挨拶での監督のお話をいくつかご紹介。
『アリーテ姫』『マイマイ新子と千年の魔法』『この世界の片隅に』は監督いわく、「顔が違う三姉妹」だそうです。
質問コーナーでは、例えば監督のご実家が映画屋さん?だったそうで、実際友だちをただで忍び込ませたり(そういうシーンが映画でも出てきます)したこともあったそうです。あと電車の話もされてたかな。
これは女性の方で、「監督の主人公はみんな女性だけど、変に偶像崇拝的でなく、みずみずしい。」(意訳)ってのを言ってらっしゃいました。
確かにその通りで、変にいやらしかったり、いやーな感じじゃないんですね、片渕監督の描く女性像と言うのは。みずみずしく、リアリティもある。監督は「対象化」しているこそだ、と言っていましたが、なかなかこう、女性がみて安心できる女性像を男性が描く、と言うのは難しいものなのです。某監督や某監督…に思いますよね(こっそり)
実際ロケハンしたときに、清少納言が住んでいたであろう住居跡の発掘が行われていたり、そもそも調べてみたら清少納言が新子と同じ8歳だった、等、ちいさな奇跡がかさなって、まさに千年の魔法ようにこの映画は完成したそうです。(意訳)
個人的に楽しかったシーンは、やはり赤金魚の「しずる」のすみかを花屋ビー玉で飾るシーンかな。ああいうの、似たことこどもの頃やったな~!って。
新子の「空想のお友達」もあー、ちっちゃいころやってたな!じぶん!って思いました。
タツヨシにまつわるシーン、そして最後の…には涙が出そうになりました。
そして、なんてことない子供の頃の思い出がいとおしく泣きそうになりましたね。
もう二度と帰れない、あのいとおしい日々。
自然の美しさも素晴らしく、出てくる人たちも人間臭い面もあるけど、あったかい。
なんともすてきな映画でした。立川シネマシティ他、GAO等動画サイトでも観れるようです。
でも映画館で観れることが出来るなら、是非見て欲しい映画でもあります。
期間限定ではありますが、是非ご覧ください!