ENTREVUE BLOG

「ナギ」ですが時にはあらぶり「エンタメ」「すきなこと」について書く。演劇・宝塚・映画・本、アート・旅行等娯楽、趣味の話とたまにの真面目コラム。

イプセンの描く「恐ろしい」人間模様@Bunkamuraシアターコクーン 栗山民也演出『ヘッダ・ガブラー』

もう閉幕しておりますが、渋谷文化村で先月末まで上演されていた『ヘッダ・ガブラー』をご紹介します。作はイプセンノルウェーの著名な、と言う言い方がふさわしくない位、演劇界では何度も上演が重ねられている劇作家です。

 

高名なガブラー将軍の娘で美しく気位が高いヘッダ(寺島しのぶ)は、社交界でも話題の中心にいて、いつも男たちに崇められる魅力的な存在だった。しかし、頼りの父親が世を去り、ヘッダは周りの男たちの中から、将来を嘱望されている文化史専攻の学者イェルゲン・テスマン(小日向文世)を選び、世の女性たちと同じように、結婚する道を選んだ。
この物語は、二人が半年の長い新婚旅行から帰ってきた翌朝から幕をあける。新居には、イェルゲンの叔母ミス・テスマン(佐藤直子)とメイドのベルテ(福井裕子)が二人を待っていた。彼らに思いやりを示すイェルゲンに対し、新妻ヘッダは、自分が強く望んでイェルゲンに購入させたにも関わらず、新居への不満を並べ出し、すでにこの結婚に退屈している様子を隠さない。
そこへ、昔からの知り合いであるエルヴステード夫人(水野美紀)が訪ねてきた。今は田舎の名士の後妻となった彼女だが、義理の子供たちの家庭教師だったエイレルト・レェーヴボルク(池田成志)を探しに街にやって来たのだという。レェーヴボルクとは、イェルゲンのライバルであった研究者で、一時期、自堕落な生活で再起不能と言われたが、田舎町で再起。最近出版した論文が大きな評判をとっている男だった。そのレェーヴボルクこそ、ヘッダのかつての恋人で、スキャンダルを恐れたヘッダが、拳銃で彼を脅し、一方的に関係を断ち切ったという過去があった。ヘッダとの関係を知らないエルヴステード夫人は、彼を再起させるために論文執筆にも協力したことを語り、街に出た彼がまた昔の悪い暮らしに戻ることを恐れ、追いかけてきたという。
そして、もう夫の元には戻らない覚悟を決めていた。また、ライバルであったイェルゲンもレェーヴボルクの才能は評価しており、その再起を喜んでいた。そんな二人の純粋な思いを前に、苛立ちを覚えるヘッダ。そこに、夫婦が懇意にしているブラック判事(段田安則)が訪ねてくる。判事から、イェルゲンが有力と言われていた大学教授の候補に、レェーヴボルクも復活してきたことを聞かされたヘッダの心中は大きくざわつき始める……

ヘッダ・ガーブレル (岩波文庫)

寺島しのぶ小日向文世池田成志水野美紀佐藤直子、福井裕子、段田安則

SIS company inc. Web / produce / シス・カンパニー公演 ヘッダ・ガブラー

 

観終って、まず、恐ろしくて放心しました。

イプセンの人物に対する目線の恐ろしさに慄きました。

ここに描かれている登場人物たちの地に足着いたリアルさ、100年以上前だというのに現代にも通じるような人物造形、その巧みさに戦慄…!

「得意なのは退屈することだけ」という台詞にも表れている主人公、ヘッダの(新妻なのに)その奔放さ、魅力。終始ひとり舞台に立っても、客席の視線を掴んで離さない寺島しのぶの達者さ、ほっそりとして洗練された美しさが印象的でした。寺島しのぶは受け芝居が上手い、芝居に品がある、華もあるけど、わかりやすい見せ方や芝居をしていないのが素晴らしかったです。例えばヘッダ役はをもっと華でバーン!と見せるタイプの女優さんが演じていたら、この舞台は全然印象変わっていたでしょうね。なんというか、本当なんでそんなことするかわからない、あんまり共感も出来ないような女性なんですけれど、この人間関係の、立場への窮屈さへの、嘆き。そういう観客へのフックが強く、それを、寺島しのぶは存分に使って魅せているなあ、と。

ラストは…わたしには尊厳をとった、と理解しました。愚かで哀れな末路、と言う風にはあまり思えなかった。全面的に共感できるキャラクターではないけれど、その哀しさ、自由な精神、チャーミングさは客席に訴えかけるものがありました。

ちょっと冴えない夫テスマン(小日向文世)を選んだのも納得いくようでいかないようなところがありますね。小日向さんはこういう役はもうなんというかお手の物。
段田安則のブラック判事は特にクライマックスの「ヘッダ・ガブラー」という台詞が白眉どこから声を出しているの、という真迫った感じで物凄い迫力…!それまで終始抑えた芝居をしていたのをここで出すのか…!と。エルヴステード夫人はなんというか、自由な天然キャラ。水野美紀さんはお綺麗な方ですけれど、どこか浮世離れしたお嬢様みたいな雰囲気がありますね。このキャスティングも面白いな、と。レーヴェボルク、池田成志も独特の存在感を放つ。

三人の(ヘッダと…)三角関係が実は…って情報を持っているものを中心にパワーバランスが転換していく様は非常に面白くて、「雄鶏」の立場がかわっていく展開にぐいぐい引っ張られる。

 

ここからネタバレ全開ですが、

個人的にはレーヴェボルグでもっとが引っ張るかと思った、が割とあっさり死ぬ、殺されると思ったけど、違いました。情けない死に方をする。そしてヘッダが死ぬ、尊厳的な死として。

わたしが関わるとカッコ悪くなる、へんてこ、みたいな台詞や、下半身を打たれて死ぬレーヴェボルグの無様さを彼女は知って、それを許せない。

「誇り高きヘッタ・ガブラー」です。

 

 演出としては、演出家をチェックしそびれ、鑑賞中に「栗山民也さんの演出っぽいな~~」と思っていたらまさにそうでした。美術は自室で下手に窓、上手に別の部屋への入り口、正面に小さな階段。特に注目すべきポイントは、イプセンの視線、肖像(ですよね?)が常に上部にひっそりとでもしっかりとそこにある、ということ。

イプセンの、人に対する目線の恐ろしさに慄きましたので、この演出は納得。
だから正解で非常に効果的な演出だったと思います。

ピアノ音、時折キーンって音が鳴る際の小さな緊迫感や、ヘッダの情熱の赤のドレス、後半は途中着替えて黒のドレスというのも趣味が良いし、小日向さんのテスマンとエルヴステートの水野美紀が笑いとっているシーンもほっこり。
でも、本来は笑える場面はほぼなく、実はとてもとても、怖い話だと思いました。

人間模様をここまで生々しい筆致で描いたイプセンのすばらしさ。

今まであまりイプセンの原作ものの芝居って、自分から進んでは観なかったのですが、これからはもっと観たいし、戯曲もちゃんと読みたいと思いました。あ、今回翻訳もよかったな。徐香世子さん。

人形の家 (岩波文庫)

だから、栗山民也さんの演出は成功していたのだと思います。

栗山さんの演出の作品は、基本的に観客の鑑賞を妨げないスタンスというか、派手なギミックもあまりありませんが、シンプル洗練されていて、いつもとても素敵だと思います。

 

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