わたしは「努力を軽視する人間」「学びを軽視する人間」を絶対信用しない。
みんな努力をしたくない、でも…
わたしは「すぐ出来る」系の話を絶対信用しません。
もう「誰でも」「すぐ」「かんたんに」とかいう広告、テレビ番組、アヤシイ自己啓発本、世の中に溢れていますよね~。
かなしいかな、「楽したい」のが人間のさが、人間どうしても「楽したい」。
そして「努力したくない」「頑張りたくない」、
でも「じぶんの好きなことをしたい」。
だから交通事故に合う確率よりも低い当選率の宝くじを買うし、「なんちゃらダイエット」が流行るし、ホリエモンの言うことを信じてホリエモンの乱発お手軽自己啓発本を買うんですよ。
わたしはそんな大金を持ってもいない、へなちょこな情けない人間ですけれどね、
それでも言えるのは、「努力を軽視するやつにろくなやつはいない」です。
わたしが著名人や有名人の人間性を評価する際の「評価軸」として重視していることに、「努力を軽視していないか」「学びを重視しているか」というポイントがあります。
いいですか、自分が恵まれている、「持っている側」(権力者、強者)であるのに、「すぐできる」「かんたんにできる」系の話をするやつはですね、ただのバカか、逆に自分がバカなことに気づかない「超バカ」を利用して金稼ごうとしている人間か、どっちかですよ。
芸能人とかも言ってみればそうですよね。広告業界とかもね。
資本主義ビジネスモデルの餌食になるな
もともとスタイル、容貌も良く、お金も地頭も結構ある人間がすすめる「お金」の話、健康の話、「かんたんに痩せられました!」「お金が稼げました!」「こんなにキレイになりました!」「この商品すごくいいよ!」「頭が良くなりました」「難関大学合格しました!」「病気が治ります」
何故信用できるのか?参考に出来るのか?
その商品の広告、誇大ではないか?理屈とおってないよね?顔、ライトや表情の作り方でごまかしているけど、元々綺麗だよね?勉強してないだけで進学校出身だよね?おかしくない?
って話です。
マスメディアは、よく言われることですけど「一番バカ」「一番底辺」=レベル(経験値)が低い 人間にもわかるように作ります。
ホリエモンの本を読んでるのは、キホン、普段本を読まない人たちですよね。ホリエモンが楽して金稼いだ、と思っている人たち、「お金持ち」は皆なにか「卑怯なこと」をして金を稼いでいる、「楽してお金を稼ぎたい」と思っている人たちですよね。
健康の話なんかも、断定的な言い方をするのはおかしいことの方が多い。
化学調味料が体に悪い、○○色の食べ物は食べるな、××食べると痩せる。
食や病気という、人の原始的な問題、生命維持にかかわる大切なトピックについて話すのに、どうしてそんないいかげんなエビデンス?と思う訳です。
しかも理系ではない、かつて数学2取った私でさえ思うんですから、なんかきっと色々ちょろいんだろうな…そういう商法…って感じですよね…
美容についてもそうです。
特に女性について、コンプレックス商法、「結局女は顔」「若さ」という「間違った」「歪んだ」固定観念を植え付ける。
そうして「脅迫して」、「固定観念」を潜在意識に植え付け、流行の服を買わせる、化粧品を買わせる、無理なダイエットをさせる。
しかもひとの根源的な「楽したい」欲求、欲望を利用して、ものを買わせる、訳です。
その商売の背景にどういうビジネスモデルがあるのか?どこが儲かるのか?みたいな視点ってとっても大事だと思うんです。そういうのに踊らされてはいけないよ。
社会的成功者は皆必ず努力家である
わたしは経済評論家の勝間和代さんが結構すきなんですが、彼女はとーーーっても努力家で真面目ですよね。バイタリティも相当すごい。常人のそれじゃない。その上で、ゼッタイに「きちんとした努力をする道筋を示してくれる」んですよ。勝間和代さんみたいな凄い経歴で、お金も持ってる方は自分とは住む世界が違う、と思っている方多いかと思いますが、彼女の数々の著作は本当そういうスタンス、「きちんと努力して成功し、人生を充実させるためには」みたいなことを「理論的に」「わかりやすく」書いている。だから好きです。キホン、ゼッタイ努力を軽視していない。
ホリエモン、ロンブーの淳、わたしは嫌いですが、たぶん彼らは実際あったらめっちゃいい人だろうし、めっちゃ好きになると思いますよ。わたしが彼らを嫌いなのは、自分がどういうことを求められているか、しっかり理解する賢さ、知的さを備えていて、それに自ら乗っている、例えそれが誇大的なものでも、「わかっていて」じぶんのキャラクターをそう演出している点です。そういうしたたかに、でも泥かぶりません、これが素のじぶんです~みたいな感じ、嫌なんですよ。彼ら、めっちゃ努力してるじゃん。その上で他の人が気付かなかったビジネスチャンスをものにしてたり、なにか仕組みを編み出した人ですよね。
世のお金持ち、著名人、みんな、確かに自分とは能力も住む世界も違う人かもしれない。でも、何かしらの努力をしていない訳ではないです。まず前提として、努力しているから、学んでいるから、成功しているんですよ。
本来努力とは辛く苦しいものでも机上でやるものでもない
努力のイメージってひとによって違うと思うんですが、努力って機械みたいに我慢して「机にカリカリ向かってやる」ことだけでも、「辛く苦しいことでもない」んですよ。
本来の努力はむしろ、ありとあらゆる場面で存在しているし、ちゃんとした努力をしていると、むしろ「努力は楽しいものでしかない」んです。
常に、「現実」にリアルで冷静な目線を持っていて、
「自分が成長するためには何ができるか」
「今この世界はどういう風に動いているか」
「自分はどういう状態、どういう人間なのか」
「あの人はどういう人なのか」
そういう客観的な視点をしっかり持っている。
そういう見方をして分析するのは単純に楽しいですよね。そして、そういう思考をしていると、お金も稼げたり、例えばモテたり、何かのジャンルで成功出来たりする。しかも、ある一定のレベルになるともう、加速度的に「資産」(いろんな意味です)というのは増えていくので、もう楽しいことしかないですよね。最初だけ、ちょっと机でカリカリやったり、ガミガミうるさい人の下で働いたり、そもそも運動不足だったら身体が作れていないと鍛えたりしなきゃいけないんですけどね。
もう一般人レベルだったら全然それでおっけー、お金も少しは稼げるようになるし、才能を発揮できる。意識してやってれば、無意識に出来るようになって、それこそ楽して出来るようになります。みんなちゃんとしてないからね。
いかかでしたでしょうか。
ちょっと色んな話題がとっちらかっちゃった気がしないでもないですが、要は、ちゃんと、人生をよりよくするためには「適切な努力」が必要です、もう「楽して稼げる」「楽してモテる」は信用してはいけないよ、それはどうしてか、っていうのを軽く書いてきました。
努力をできない人間は、努力をしている人間に「利用されます」。良いカモ、ってやつです。その構造は、こちらも努力して、その人より何かしらの面で賢くなり、何かしらの「資本」「資産」「蓄え」「価値」を持たないと、覆せない。
そうしたら…永久に搾取される側、利用される側、疲弊する側なんですよね。
まあ、前も色んな言い方で言ってきた(書いてきた)と思いますけれど、本当そう思います。
努力しないとダメだよ。
やっぱり人間毎日幸せになったらいいと思うし、なりたいですよね。
せっかく生まれてきたんだしね。
だから、そのためにもまず「努力を軽視する」姿勢には疑ってかかりましょ、ってことです。
あなたはどちら側ですか?努力する人ですか?楽したい人ですか?
…うん、なんか嫌な文章書いちゃったな、とりあえずここまで!ナギナリコでした~!
追記:
読者登録してるブロガーさんがいいね~!ってブログ書いてたのでこちらからもリンク貼っておきますね。